「つらい仕事」や「大変な仕事」と「やりたくない仕事」の違い

2018年8月20日 21:23

 以前、私よりも10歳以上年上の、年令60代の先輩からこんなことを言われました。
 「今さらやりたくない仕事なんて、やるだけ時間の無駄だから、今は自分のやりたい仕事しかしない」とおっしゃいます。
 この話を若い人が聞いたら、もしかすると年寄りのわがままと思い、そんなわがままのせいで自分たちにしわ寄せが来るのだと思うのかもしれません。ただ、私はこの話を聞いて、たぶん年を取るとともに、年々共感する度合いが増えている感じがします。

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 自分は今50代ですが、それでもたまに、身近な人が急な病で亡くなったりします。自分が絶対にそうならない保証はありませんし、いくら平均余命が伸びていて、元気な年寄りが増えたとは言っても、年令が上がれば死ぬ確率が増えるのは仕方がありません。

 そう考えていると、自分に与えられた時間が限られていることを意識し始め、その限られた大事な時間を「やりたくない仕事」に費やすのは、あまりにも無駄でもったいないという感覚が、つい増してきてしまいます。
 また、こんなことを思えるのは、自分が雇用されずに独立して仕事をしている立場だからということもあります。会社勤務であれば、自分の「やりたくない仕事」をしなければならない機会は数多くあり、「やりたい仕事だけしかしない」などというのは許されないでしょう。

 ここで、自分にとって「やりたくない仕事」とは何なのだろうかと、あらためて考えてみました。
 思いついたのは、
 「強制された仕事」
 「納得できない仕事」
 「自分にも他人にも役に立たない仕事」
 「興味を持てない仕事」
 「価値観が違う人とやる仕事」
 といったものでした。

 実はここで、「つらい仕事」や「大変な仕事」というのも候補に挙がりました。しかし、よくよく考えてみると、これは「やりたくない仕事」とは少し違うように思います。

 例えば、アスリートは「つらいトレーニング」をしますが、それは自分の目標達成や、大きな成果を得るために必要なことです。「つらい」けれども、「強制」はされていないし、「納得」しているし、将来の「役に立つ」し、「興味」を持ってやっています。
 ただし、この「つらさ」や「大変さ」が、納得できないものや将来に渡って役に立たないものだとしたら、それは「やりたくない仕事」そのものになります。

 「つらい仕事」や「大変な仕事」は、自分の経験を積む上で必要なことがありますが、「やりたくない仕事」はそもそも納得できない仕事なので、誰かから必要だと言われても、本人にとっては無駄なことでしかありません。

 こんなことを考えていると、「やりたくない仕事」は年令に関係なく、あえてやる必要はないように思えます。これは「つらい仕事」や「大変な仕事」とはちょっと違います。
 最近仕事が楽しそうでない大人が多いと言いますが、これは「やりたくない仕事」を仕方なくやっている人の割合が意外に多いことが、理由としてあるのかもしれません。

 「やりたくない仕事」を避けられない人は、きっと大勢います。それはその人が置かれた環境の中で、仕方がないことです。
 それでも、今やっている仕事が、単に「つらい仕事」や「大変な仕事」なのか、それとも「やりたくない仕事」なのかは、自分なりに意識しておく必要があるのではないでしょうか。もちろんその境目は、人によって違います。
 もしもそれが「やりたくない仕事」だったとすれば、できるだけ早くそこから離れる努力をすべきです。時間は限られていて、自分にとって有意義に使おうとすれば、それは必要なことだと思います。

※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら

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