地方銀行を覆う憂鬱、今やスルガ銀行すら肩代わりの対象に
2018年6月29日 20:33
従来から、銀行は構造不況業種だと言われて来た。言葉の意味を簡記すると、「経済が進展することで産業構造に変化が生じ、この変化によって将来の事業継続に赤ランプが付いた業種」ということになる。わが国ではすでに、石炭産業は衰微し切っているし、鉄鋼業や造船業も他国の追撃を受けて、厳しい状況にある。果たして銀行は、これらの業種と同じ“かっこ”で括られるような業種なのだろうか。
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確かにバブル以降の20年以上の長期間に渡って、公的支援を受けて不良債権の処理を行い、「貸し渋り」とか「貸し剥がし」とかの指摘を受けても、頑なに引きこもりのような内向きの日々を送って来た。ようやく体力が回復して、前向きの融資ができるようになった時には、銀行に頼らない事業経営に馴染んだ企業の多くが、銀行融資に変わる調達手段を身に着けていた。
日本社会では、人口減少とそれに伴う地方の活力の低下が進んでいる。有力企業の多くは内部留保を分厚く蓄積し、世界的な金余り現象による低金利状態にも慣れきってしまった。日本銀行では「出口戦略」が大っぴらに語られることはなく、マイナス金利政策の終わりが見えない。地方銀行には貸出先が限られる上に、貸出金利は底知れず低下する一方だ。利益を生んでいた貸出資産は、他の銀行の肩代わりによって失われて行く。このため地銀の新規貸出金利は17年度に0.95%まで低下し、なお底が見えない。
銀行という業種が他の様々な業種と決定的に違うことが一つある。取り扱う商品に銀行ごとの特色を打ち出すことが出来ない。クルマであれば、デザインや加速感等で個性を打ち出せる、化粧品にだって得意としている用法がある。これに対して銀行が扱う現金自体に取扱銀行の個性はない。新商品として新しいローンを開発しても、「じゃあ、結局何パーセントなの?」という問いかけで終わる。そしてその金利こそ、銀行の収益を左右する根本なのだ。
話題のスルガ銀行は、金融庁の覚え目出度く「地銀の優等生」と評価する声すらあった。なにしろあまたの地銀が1%台の貸出金利に喘いでいる時代に、3~4%の金利を稼ぐのであるから、注目されて当然だ。“かぼちゃの馬車”に関わり昨今明らかにされている実像に接した関係者には、呆れるとともに“特別な方法などはなかった”とある種の安堵感さえ漂っている。
今そのスルガ銀行は、肩代わりの草刈り場だ。借入する時は訳があって、多少金利が高くてもいいとスルガ銀行を利用した顧客も、低金利の借り換えを拒む理由はどこにもない。かくしてスルガ銀行の貸出債権は、良質のモノから他行へ移動し、肩代わりの対象にすらならない債権だけが残ることになりかねない。スルガ銀行が失望を誘うのは自業自得である。地方銀行はその泣きっ面に漂う“ハチ”になってしまった、という自覚で憂鬱の中にある。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る)