マケドニアが国名を「北マケドニア共和国」とすることでギリシャと合意
2018年6月14日 07:07
27年間に渡って続いた、国名を巡る紛争に決着がついた。ギリシャとマケドニアは6月12日、マケドニアの国名を「北マケドニア共和国」とすることで合意に達したと、AFPなどが報じている。
現在のマケドニア共和国(改名が実際に行われるのは両国の議会での承認を経るなど正式の手続きを経たのちとなる)がユーゴスラビア社会主義連邦共和国より独立したのは1991年9月8日のことである。このとき同国は国号をマケドニア共和国としたわけであるが、古来マケドニアと呼ばれた地域はギリシャとマケドニアの両国に跨っており、またギリシャ国内にもマケドニアと呼ばれる地域があることなどから、当初よりギリシャからこの国名に抗議の声が上がっていた。
そもそもマケドニアという国号は古く紀元前7世紀の古代王国にまで遡る由緒のあるものである。説明もいらないかと思うが有名なアレキサンダー大王を輩出し、その世界帝国建国の礎となった国というわけだ。
従って民族的アイデンティティの問題、まだ所属する人種構成の問題など様々な問題が生じ、マケドニアとギリシャ両国は長きにわたり対立関係を続けていた。
しかし今回、マケドニアのゾラン・ザエフ(Zoran Zaev)首相と、ギリシャのアレクシス・チプラス(Alexis Tsipras)首相の間に合意が成立。ザエフ首相はこれを「歴史的な解決策」と讃え、チプラス首相は「ギリシャが設定した条件をすべて網羅する優れた協定」と讃えるなど、歩み寄りのムードが高まっている。
ちなみに、「北マケドニア」で合意される前の暫定案としては「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」略してFYROMというものがあったのだが、これは評判が悪く、マケドニアの反発で見送りとなっていた。
マケドニアとしては、この国名問題の解消により、EU(欧州連合)ならびにNATO(北大西洋条約機構)への加盟に向けた道が開かれることを期待しているという。(記事:藤沢文太・記事一覧を見る)