人工頭脳(AI)時代に人間翻訳は生き残れるか?:第九回 人の巻 技
2017年9月12日 13:17
さて、「天」でその身構えを語り「地」でその具の如何を考え、いま「人」と唱えて「二刀流翻訳術」を操る技を奥義としたい。限られた紙幅から、要点を「両刀を鍛える」、「日本語を鍛える」、「英語を鍛える」の三条に絞って専ら本意だけを語りたい。
I 両刀を鍛える
まず、「二刀流翻訳術」の奥義は十二段、紙幅の限られる本稿ではその要(かなめ)にあたる三段に絞ろう。
い まず森を見よ(原文を通読すること)
翻訳は文化の移し替え、まず原書の文化的背景を把握することから仕事が始まる。「原文の通読」だ。
物語なら、登場人物の「なれの果て」が判れば描写も変わろうというもの、「こいつは先はワルになる。ならば飾り言葉には一捻り入れよ」ということだ。
それは背景の把握にも言える。物語の背景は、早い段階で呑み込むことで誤訳が防げる。文化の違いについては、常に意識してしすぎることはない。通読してこそ、全体に流れる口調、表現の硬軟などに一貫性がうまれる。
ろ 辞書を信じるな (語意、文意は文脈から)
勿論、これは極言。辞書を座右に置くことは必須だが、引いて出た言葉を翻訳の場で「無作為に埋め込むな」ということ。筆者には勉学時代に「言葉は例文から選べ」と諭された記憶がいまだ鮮やかだ。だから、辞書は例文が豊かなものを選んで使うことだ。「英和活用大辞典」という名著がある。まさに例文から語句を選り抜くための辞書で、世の翻訳者に推奨する。
は リズムの違いを知れ (よな抜き音階など)
日本語には西洋の言葉ほどのリズム感がない。語尾の韻を踏む芸は日本語の得手ではない。含蓄に富む文は連ねられても、なん拍子(びょうし)というようなリズムを刻むには難儀をする。
七五調の美文を英訳して、それと判らせるにはフォックストロットでは無理だ。複数の拍を組み合わせるとなると、ジャズのリズム感や音感の素養がいる。音感もリズムも文化なら、翻訳には言葉の素養に加えて「音」への感覚が必須になる。
II 日本語を鍛える
さて、母国語の日本語を磨くには?
前項で触れたが、日本語の乱れが言われて久しい。カタカナの氾濫、語尾の乱れ、無粋な造語などなど、わが母国語がいま劣化している。お国の言葉の劣化は太助ならずとも「天下の一大事」だ。「二刀流翻訳術」では日本語の練磨を同じく十二段、ここではぎりぎり三段に絞ってお話ししよう。
い 含蓄こそが命
ごく卑近な例でお話ししよう。英語では「I」だけの一人称単数代名詞が日本語では星の数ほどある:「わたし」「わたくし」「あたくし」「わし」「おれ」、さらに「わっち」「わがはい」「おれっち」「おれさま」「それがし」「せっしゃ」から恐れ多くも「ちん」など。日本語ではこれが豊かな含蓄を生む。
さて、その「含蓄」を英訳するとき、いちいちその来歴を語る暇はない。いずれは「I」で収めねばならぬ時、「わたくし」と「わっち」をどう訳し分けるかが翻訳の命となる。
これは和訳でも同じこと。原語(英語)に対して訳語の選択を急くべからず。とくにアメリカ英語を和訳するとき、文脈から原意を充分に忖度して、豊かな選択肢のなかから対応する日本語を選ぶことだ。
つまり、翻訳者はまず母国語たる日本語に熟達せねばならない。外国語の習熟に腐心するのは当然ながら、訳し込む日本語が未熟では、あたかも美酒を汚水、とまでは言わずとも飲むに耐えない水に流し込むことになりかねないことを努々忘れてはならぬ。
ろ 原稿用紙の秘密
翻訳には書き下ろしの才も求められる。翻訳を志すものは、すでに文筆に長けておられねばならない。その捷径が「原稿用紙の秘密」だ。
原稿用紙は一枚でよい。400字を四分割して起承転結に割り振り、テーマを選び、さり気なく思いを綴る習慣をつけたい。まず数日に一枚、慣れるに連れて三日に一枚、二日に一枚と増やし、いずれは日々一枚の「起承転結」を習慣づける。驚くなかれ、この習慣は必ず豊かな果実を結ぶ。
は 名文精読
グルメが美食して「食に通じる」ように、言葉を操る翻訳家は名文に親しんで言葉を操る術を肌身に刷り込む。長大な物語よりは粋な随筆がいい。谷崎潤一郎よりは吉田弦二郎や亀井勝一郎がいい。日本語を操る醍醐味を味わうことこそ熟練への捷径であり、二刀流翻訳術の王道だ。
III 英語を鍛える
さて、翻訳家たるもの、英語を学習課目と考えてはならぬ。英語は「習う」より「身につける」もの。これは似て非なる発想で、「身につける」とは文字通り濡れた体を砂浜に晒し、体中に砂粒を纏うようなものだ。当意即妙の英語を文字通り「体得」する。筆者が60年掛けて体得した「必殺技」を三段提案したい。
い 「独り語りは三文の得」
「歩きながら」の独り語りだ。闇雲に語ればいいのでは当然ない。目前に展開するすべてを「進行形で描写する」ことだ。犬が駆け抜ければ A dog is dashing that way. と口走る。Wonder what he’s up to?と咄嗟に独り語る。無言ではなく、しゃきっとした声音で語る。Wonder what he’s up to?はその瞬間の心象風景だ。それを絶え間なく繰り返しながら、やがてそれと気付かず内心を語り始め、独り語りの境地に遊ぶ。
信じて頂きたい。こ一年も経てば、あなたの英語書きが奇跡的に進化する。もちろん「犬」ばかりではそうはいかない。こ一年も経てば、目前に広がる世界が常に文字の織物に見えるようになる。言わば、視覚の知覚への「自動翻訳」の術が身につくようになる。
ろ 名作映画に溶け込む
「子鹿物語」をご存知か?古今の名画で、筆者の英語生活と切っても切れぬ繋がりがある。1950年代、高校生の筆者は雑誌「時事英語」の巻末掲載されていたこの映画のシナリオを切り取り、カット毎の情景から科白回しまで鵜呑みにして映画館に通い、どの場面のだれの科白でも、身代わりにもなれるほど、語調もスピードもそっくりに喋れるように励んだ。
告白するが、高校生風情にはきつい作業だったが、これが後のアメリカ生活にどれほど役立ったか、今に至る英語生活にいかに貢献しているか、言を俟たない。
紙幅の関係で、その辺りの経緯は拙書「二刀流翻訳術グローバルエイジのツール」(Kindle版)に譲るが、八二歳の現在、筆者は「第三の男」の音源をiPhoneに落として、夜な夜な誘眠剤にしている。疲れの度合いによって、冒頭のチターの響きが消える間に寝つくこともあり、ライムが下水道で撃たれる銃声を聞いてもまだ寝込めないこともある。雀ならずとも、どうやら百まで踊りを忘れぬものらしいのだ。
は 日々書くための「現場」を
最後の段は日英両語ともに、「常に書く」習慣をつけられよ、ということだ。筆者は「梟のわび住まい」、「JAPAN - Day to Day」 と名付けたHPを立ち上げ、和英両語で書き散らしている。諸賢もぜひ手軽にブログを立ち上げられて、何気なく書く習慣をつけられたい。
紙幅も疾うに満ちてしまった。次稿は長々をお読み頂いた拙稿も最終回、傘寿超ながら現役の翻訳家として、人工知能との鍔迫り合いに筆者なりの決着をつけたい。