名車概論/東洋工業がロータリー専用スポーツとして開発、サバンナ「RX-7」

2017年8月12日 10:51

 コンパクトで高出力なロータリーエンジン(RE)をフロントミッドに搭載するという、当時では革新的なレイアウトでデビューしたRE専用のスポーツカーが、1978年発表のマツダ「サバンナRX-7」である。

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 当時のマツダは、まだ東洋工業と名乗っており、世界の自動車メーカーで唯一ロータリーエンジン搭載車を量産していた。RX-7はメイン市場の北米を中心に世界的大ヒットを収めたライトウエイト・スポーツだ。

 REは、シリンダーのなかをピストンが往復する運動を回転エネルギーに変えていた、いわゆるレシプロエンジンとはまったく異なった構造で、ガソリンの燃焼・爆発エネルギーを直接回転運動に変換する画期的で効率的なパワーユニットとされた。1960年代に、まず「コスモスポーツ」に搭載し、東洋工業はそのバリエーションを拡大していった。

 が、しかし、1973年の第一次オイルショックで、「ロータリーエンジンは“燃費が悪い”」とされ、急速に人気を落とす。とは言うものの、燃費/出力・比でみるならば、燃費はレシプロエンジンに対して劣っていたわけではない。573cc×2ローターの高出力・軽量コンパクトなパワーユニットを搭載したRX-7は、オイルショックのダメージからロータリーエンジンを復活させた立役者なのだ。

 RX-7がデビューした1978年、イラン革命を発端とする第二次オイルショックが起き、第一次オイルショックのときと同様に原油が値上がりし、日本国内では深夜のテレビ放送の自粛や、日曜・祝日のガソリンスタンド休業などが実施された。また、環境問題では、アメリカのマスキー法を受けて日本でも73年から排ガス規制「昭和48年規制」がはじまり、78年の「昭和53年規制」は、当時、ガソリンエンジン車に対し世界でもっとも厳しく排ガス浄化を求めるものとなった。

 そうした社会情勢や、環境規制の施行などは、クルマが大馬力を追及するには逆風の時代となった。その時代に、クルマへの夢を支える“一条の光”として登場したのがRX-7だった。

 その初代RX-7のボディ寸法は、全長×全幅×全高4285×1675×1260mm、ホイールベース2420mm。車重1005kg。現行のマツダ・ロードスターに比べて300mmほど長いが50mm以上スリークで、車高はほとんど変わらない。車重もロードスター比+15kgでほぼ同じ数値、小さくて軽いコンパクトな2+2座スポーツモデルだった。

 搭載したパワーユニットは前述のとおり12A型573cc×2ローターのRE。発売当時の最高出力は130ps/7000rpm、最大トルクは16.5kg.m/4000rpmだった。トランスミッションは5速マニュアルと3速オートマティックが用意されていた。エンジンが非常にコンパクトなことを利して、前述のようにフロントアクスルよりも後方にエンジンを配置するフロントミッドシップレイアウトで、2名乗車時に前後50.7対49.3 の絶妙な重量バランスを得たピュアスポーツとなった。

 1983年にRX-7は初のマイナーチェンジを受けたのを機に、最高出力165psのターボエンジンが搭載される。(編集担当:吉田恒)

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