評価制度をやめる理由に共感することと、やはり使い方次第だと思うこと

2017年5月17日 11:24

 最近、ある大手企業に在籍されている方から、その会社の評価制度のことを聞く機会がありました。
 社歴の長い、いかにも日本的な有名企業ですが、お話をうかがった方はこんなことをおっしゃっていました。
 「評価制度は実質的には形骸化していて、上司もきちんと仕事ぶりを見て評価していると思えない」
 「ただ決められた制度を、作業として運用しているだけのように見え、意味がないように思う」
 「評価と言っても定量的に把握できないことも多く、そもそも評価すること自体が難しいのではないか」

 こんな課題はそれほど珍しいことではなく、多くの会社で見られることですが、具体的にどう解決していくかということは、なかなか難しいところがあります。
 しかしそんな中、このような課題に対して、実はここ数年アメリカの著名企業の中で、「評価をやめる会社」が出始めています。このあたりは様々な記事や書籍が出てきていますので、すでにご存じの方もいらっしゃるでしょう。

 「なぜ評価制度をやめるのか」という理由を見ていると、わりと単純明快な話で、「労力のわりに効果がない」ということで、もっと言うと「逆効果になっていることもある」とされています。

 ただし、ここで言っている「評価制度」とは、一般的な年次評価のことで、半年ごとに評価面談をして目標達成度を評価して、評価ランクを5段階で決めて、それが相対評価であるというようなものです。特に「評価ランクを決める」という序列づけの部分が問題とされ、「序列づけによって生まれるのは“不安”であり、モチベーション向上にはつながらない」とされています。

 一般的な日本企業の人にこの話をすると、必ず出てくるのは、「ではどうやって給料を決めるのか」「昇格、昇進の判断はどうするのか」ということですが、これらの取り組みを進めている企業によれば、「年次評価がなくても、他の材料だけで十分」と言っています。

 私のもとに来る依頼として、「評価制度を初めとした人事制度の整備」というテーマは今でも多く、中小零細規模の企業では、未だ何の仕組みもないというところも少なくありません。そんな会社のはじめの一歩として、人事制度に限らず「社内の仕組みを作ってきちんと運用する」ということは、そのことの習慣づけの意味も含めて必要だと思うことが多いです。

 その一方、すでに様々な仕組みを持っている大手企業や中堅企業では、「この制度を運用している意味があるのか」と疑問に思うことがあります。
 こういう問題の解決は、多くの場合で制度改訂や運用改善といった形の依頼をされますが、この原因として見られることには、まさに「評価制度をやめている会社」が言っていることと重なる部分が多々あります。
 ただし、特に日本企業の場合、ごく一部の会社を除いて「評価制度をやめる」という発想は持っていません。どちらかといえば、制度をさらに精緻にすること、運用をさらに強化することで解決しようとします。中には多少の形骸化や無駄な部分には目をつぶり、やらないよりはやっておいた方がマシだろうという程度の考え方でお茶を濁しているところもあります。

 私はこれからの動きとして、この「評価制度をやめる(というよりやり方を根本的に見直す)」という動きは確実に増えてくるだろうと思っています。
 その一方、まだ大した仕組みもない会社がこの動きを見て、「ああ制度はいらないのだ」と思ってしまうのは、また違っていると思います。やはりその会社のステージの応じたやり方があり、例えばフルマラソンを走った経験のある人がトレーニング方法を見直すのと、一度も走った経験のない人が「ゆるいトレーニングでいいのだ」と思うのとは、まったく意味が違います。

 新しい動きは見据えつつ、自分の会社がどのステージにあるのかは見ていかなければなりません。
 評価制度をやめる理由に共感する点は多い一方で、やはり制度というのは使い方次第だと思います。

※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら

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