「得意なことしかやりたがらない」という話で思った、それとつながるいくつかのこと

2017年5月2日 11:28

 もう数年前に聞いたことですが、新入社員を少しきつめに指導したら、「私たちは褒めて育てられてきた世代なので、そういう言い方をされるとやる気をなくす」と苦情を言われたという、新人研修担当の話がありました。

 褒めることは大事ですし、その方が人の成長が早まるということは、十分に理解しているつもりですが、相手から「褒めること」を要求されるとなると、これが果たして正しいやり方なのか、ついつい疑ってしまうところがあります。

 この話と似通った印象を持つ話を、つい最近ある企業の役員クラスの人から聞きました。
 それは、「みんな最近、自分が得意なことしかやりたがらない傾向が強くなっている」という話でした。これは決して若手といわれる人に限ったことでなく、30代、40代の比較的経験を積んだ年齢の人でも、同じようなことがあるようです。
 その理由には、たぶん「失敗をしたくない」という本人の意識があり、「失敗に寛容でない」という環境があり、失敗することで実際に評価が下がり、収入が減り、最悪仕事を失うというようなこともあるのでしょう。当然ですが、失敗して褒められることはないでしょう。

 ただ、この「失敗が人を育てる」という人は数多く、著名な経営者の方々のインタビューなどを見ていても、過去の失敗経験がその後の自分の成長につながった、人間的な幅を広げることができたと語る人は、とても多いです。
 そうは言っても、やはり失敗はしないに越したことはないですし、失敗をちょうどよいさじ加減で制御して、意図的に経験させるというのは、場面を相当に限定でもしなければ、なかなか難しいことです。これは、「失敗」が人材育成の一環としては使いづらいということです。「失敗経験での成長」には、どうしても結果論のようなところがあります。

 これはあくまで私が思っている原則論ですが、自分が得意なことは好きなことでもあり、苦手なことは嫌いなことでもあり、人間は嫌いなことよりも好きなことに取り組む方が楽しく、楽しい方が身につきやすく、他人にはつらいことでも苦にならず、成果も出やすいと思っています。

 ただ、これを本人の意志だけで、取り組む範囲を「得意なこと」ばかりに限定し始めると、少し話が違ってきます。それは「得意か不得意かがまだ判明していないことに、取り組もうとしなくなる」ということがあるからです。既知のこと、経験したことばかりでは、それらを深めることはできても、幅を広げることはできません。
 実際にやってみた結果、「不得意だからもうやりたくない」というなら、まだ話はわかりますが、一度は経験して見なければ、そもそもそれが得意か不得意かはわかりません。

 「得意なことしかやりたがらない」というのは、裏を返せば「未知のことを避ける」ということですが、未知の経験には失敗がつきものと考えれば、それを避けるというのは「失敗を恐れる」という考えにつながりますし、失敗すれば基本的には褒められませんから、「褒めて育てる」にはつながりません。
 こんなことから、「得意なことだけをやりたい」という傾向は、これまですでに言われてきた「失敗したくない」「叱られたくない」ことに、根本の部分が共通していると感じます。

 「褒めて育てる」は、原則としては正しいと思いますし、「失敗したくない」「得意なことに集中したい」という気持ちも、十分理解できることです。
 ただ、働く人たちの意識が、こんな感じで狭く保守的な方向だけに向かってしまっては、広い意味での「仕事をする能力」は低下していきます。
 やはりどれもバランス次第なのだと思いますが、いったいどこが適切なバランスなのか、バランスを取ることの難しさも同時に感じています。

※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら

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