一見選択権があるようで、実は選べないこと
2017年4月5日 11:57
最近気になった話題に、サッカーのスペインリーグ、エイバルというチームでプレーする乾貴士選手が、スペイン国王の来日にあたっての首相晩餐会に招待され、それに出席するために帰国することになったというものがありました。
今はシーズン真っ只中で、公式戦の欠場が必須だったため、選手個人への批判的な意見まであったようですが、クラブ幹部がそのような招待を特別に名誉なこととして受け止め、チームの知名度アップなども考えた所属クラブの意向として、できれば残ってプレーしたい本人を説得した上で帰国させることになったというのが真相のようです。
日本の外務省からの招待のようで、もちろん断ることはできたのだろうと思いますが、エイバルはスペインの中では比較的田舎にある小さなクラブということで、日本の首相や自国の国王が出席するような場に自チームの選手が招待されたとなれば、相当に重大なこととして受け止めたであろうことは、十分に想像できることです。
私個人の意見としては、海外でプレーしているシーズン中のアスリートに対して、帰国を強要するような安易な招待をするようなことは、少々デリカシーが足りなかったように思います。
招待した側からすれば、出席するかしないかは相手の判断次第と、少し気軽に思っていたのかもしれませんが、招待された側からすれば、これほどの権威がある場へ招待を断ることは相当に難しく、選択権はないに等しかったのではないかと思います。辞退するというような選択肢は、実質的には存在しなかったのではないでしょうか。
このように、一見すると選択権が与えられているように見えても、実質選ぶことができないという場面は、実は多くの人が何らかの形で経験していることだと思います。
「この人から頼まれたら断れない」であったり、「異議を唱えてはその後の心証が悪くなる」であったり、「この人に盾突いてはその後の報復が怖い」であったり、他にも様々なパターンがあると思います。
そして、そのようなケースのほぼすべては、投げかける側が権威者もしくは権限者であるということです。
会社の中で、これに該当する身近な例を考えてみると、例えば上司が残っているから帰れないとか、上司からの飲み会の誘いを断れないとか、大事な用事がある日の残業指示を調整できないとか、そんなことがあると思います。
こういうことは、上司の側からすれば、別に強制しているつもりではなかったり、無理する必要はないと思っていたり、相談してくれれば十分に調整する余地があると思っているかもしれません。
しかし、部下の側からすると、そんな選択肢は考えられないと捉えている場合があります。そして、そう思ってしまう原因の多くは、上司の日常的な言動や振る舞いに起因する、上司と部下との距離感にあります。
もちろん組織の中では、部下への選択肢を与えずに上司が指示しなければならない場面はありますが、その一方で、本人に選択させるというプロセスを経た方が、その後の取り組みがスムーズになることもあります。
ただ、上司は選ばせているつもりであっても、部下に選んだ自覚がないということは、意外に多くあります。
これを適切にコントロールするには、権威者、権限者である上司の側が、部下の心理をいかに意識することができるかにかかっています。選択肢を与えるべき場面では、本音で選べるようにしなければ部下の不満がたまっていき、いつか爆発してしまうかもしれません。
上司は何でも言いやすい雰囲気を作っていると思っていても、部下はそう思っていないことが多々あります。権威者、権限者というのは常に周りに無言の圧力を与えています。そのことで、一見選択肢が与えられているようで、実は選べないということがたくさんあります。
上司は「自分が権威者、権限者である」ということを、今一度自覚しなければならないと思います。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。