藤原定家は京都でオーロラを見た

2017年3月25日 18:37

藤原定家の「明月記」には建仁4年正月19日と21日(1204年2月21日、23日)に京都で「赤気 (せっき)」が出たとの記述がある。国立極地研究所は中国の歴史書「宋史」にみられる太陽の黒点の記録と突き合わせることで、定家の見た赤気が数日にわたって観測される「長引く赤いオーロラ」であることを確かめたそうだ(研究成果Space Weather - Journal Highlights論文アブストラクト)。 京都・仁和寺の「御室相承記」にも1204年2月21日~23日に3日続けて赤気が出たとの記述があり、現在調査されている日本の文献では「長引く赤いオーロラ」の最古の記録だという。国立極地研究所では、これらの記録および宋史にみられる黒点や「長引く赤いオーロラ」の記録と、樹木年輪の炭素同位体比から復元した当時の太陽活動の強弱を比較することで、平安・鎌倉時代における巨大磁気嵐の発生パターンを明らかにした。これらの知見は今後の磁気嵐を予測するうえで重要な情報になるとのことだ。 この研究について manmos 曰く、 日本でも北海道ぐらいまで行けば、まれに低緯度オーロラが見られることもあるようですが、京都でオーロラが見えたというのはよほど太陽活動が活発かつその太陽風が地球方向にやってきたということで、現在だと電子機器などがエラいことになってるかもしれないと思うのは、現代人の性です。

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