「彼は休まずに頑張っている」と評価する職業観に思うこと
2017年2月20日 12:04
最近の働き方改革の流れで、労働時間に関する注目、関心が高まってきていると感じます。当初は主に残業時間のことが意識の中心だったように思いますが、最近は有給休暇の消化率といった、休みの取りやすさについてもいろいろな意見が出されるようになってきました。
私の父親くらいの世代では、それこそ休暇などはあってもとらないことが当たり前で、以前直接聞いた時には「用もないのに休んでどうする?」などといっていましたが、その当時は、そんな感覚の人がたぶん世の中の大半だったのでしょう。
最近の様子を見ていると、以前のように「休暇は罪悪」のような発想は無くなり、それなりに休暇は消化されているように見えますが、昨年末に公表されたある調査の結果を見ると、世界28カ国の中、日本の有休消化率は50%と3年ぶりの最下位だったそうで、休暇取得が進んでいるのは一部の大企業などを中心とした話で、それ以外の企業では依然として進んでいないということのように思います。
最近私がお話を伺ったお二人の社長は、休暇の捉え方について対照的なお話をされていました。
かたや、「自分の頃は休みなど取らないのが当たり前だった」といい、「今の社員は休んでばかりだ」「休みたいならば迷惑をかけないように配慮をするのが当たり前」など、ほぼ苦言に類することを述べていました。
その反対に、もう一人の社長は、「権利として認められているのだから、それは行使したいと思うのは当然」「誰か休んでも仕事が回るように体制を作っておけばよいだけのこと」「その方が優秀な社員が集まってくる」などとおっしゃいます。
この社長にもう少し話を聞いてみると、実はご自身もかつては「休みは罪悪」という考え方を持っていたのだそうです。
しかし、社長になっていろいろな場面に遭遇する中で、例えば社員採用の際に「どうせまた辞めるかもしれないし、採れるときに少し多めに採用しておこう」と思って、余剰人員のつもりで採用したことところ、人員増に合わせて売上が伸びたという経験が何度もあるそうです。
また、ある大きなトラブルに見舞われたとき、たまたまその時期だけスケジュールが空いていた社員がいたおかげで、迅速に対応できて事なきを得たということがあったそうです。
そんな経験から、組織として若干の余力を持っていた方が生産性は上がり、リスク管理も可能になると考えるようになり、そこから「組織として、休暇などの自由度を増した方が会社にとっても社員本人にとっても好ましく、さらに業績も上がるという三方良しになる」と考えるようになったそうです。
その一方、「休まないのが普通」という社長に、社員の休暇のせいで仕事上の支障が起こった経験があるのかというと、どうもそうではありません。実際にどうしようもない病欠や社員のご不幸などの際は、それなりに問題なく対応しています。
話を聞いていると、具体的に何か不都合があるというよりは、自分の価値観、職業観と相いれず、根本的な心情として、単に「許しがたい」と思っているようです。
ただ世の中の流れとして、自分の本音を表沙汰には言えず、それでも結果としては、何となく休みを取りづらい雰囲気を醸し出すことになっているようです。
休暇に対して否定的な思いを持つ人は、自分の職業観や価値観とのギャップが埋められないことに、その原因があるように思います。実際に何か困ったというよりは、「個人の都合で会社にしわ寄せがいくのは許せない」ということです。
「簡単に休まれては困る」という考え方は、特に人員不足の中小企業などでは理解できる面はありますが、裏を返せばそれは何か予測できないトラブルには対応する余力がないということです。仕事が属人化しているということであり、組織としてのリスク管理ができていないということになります。
実際に、組織体制を作りながら、それに合わせて休暇取得を進めているような会社では、ただ一方的に生産性が下がるような現象はほとんど起こっていません。
よく、退職間際の有休消化が問題になることがありますが、有休の繰り越しが「労働債務」であることを理解していれば、できるだけ貯めずに消化させることが最善策であることはわかると思います。権利を使わせずに社員への借りを作っていることが問題ということです。
これからはどんな企業も、「休みは罪悪」という価値観から離れて、休暇取得を前提とした組織マネジメントが必要です。個人的な職業観にこだわるのは、もう危険なことになりつつあると言えるのかもしれません。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。