【宮田修 アナウンサー神主のため息】『チョー』と『やばい』
2015年2月1日 19:29
■すべての場面で『チョー』ではいけない、日本語のさまざまな表現を楽しみながら使っていただきたい
チョーとやばい、いずれも最近よく耳にする言葉である。若い人たちが使っていると思っていたら年配の人も愛用している。何と私の家内まで、『チョー美味しいね』などとのたまわっている。
まさに、『チョービックリである』
前の仕事がアナウンサーであったためだろう、周囲の人たちがどのような言葉を使っているか気になって仕方がない。日常使われる言葉は、時代によって変わっていくものである。したがって正しいそして美しい日本語を使ってくださいなどと偉そうなことを申し上げるつもりはない。
『チョー』を使う人を非難しているわけでもない。私が問題だと思うのは、いかなる場合でも『チョー』で済ましてしまうことである。
日本語にはたくさんの語彙がある。同じ意味のことを言うのにも多くの言い方を日本語は持っている。
微妙にニュアンスの違う言葉があるのだ。『チョー』という言葉は『超』に由来している。何かを言いたいときその内容をはるかに超えているとき、例えば『超忙しい』と言うように使うのであろう。
この言葉を最初に耳にしたとき、確かに新鮮な響きを感じた。『非常に』や、『とても』などそれまで同じ場面で使われていた言葉よりも強く訴えかけるニュアンスがある。説得力のある新しい表現であると思った。しかし、すべての場面で『チョー』ではいけない。『こよなく』、『いたく』、『この上ない』など、『チョー』と同じように使える言葉が日本語にはちゃんとあるのだ。それらもぜひ使ってほしいと思う。
『私はあなたがチョー好きです』、と言われるよりも、『私はあなたをこよなくお慕い申し上げております』、と言われる方が重く受け止めるのである。日本語のさまざまな表現を楽しみながら使っていただきたいと前職がアナウンサーの神主は思ってしまうのである。
一方、『やばい』は、いけません。この言葉も最近は若い人のみならず年齢の高い人も普通に使っている。古いと言われるのを覚悟で申し上げれば、私は絶対に使わない。若い美しい女性の口からこの言葉が発せられると私はがっかりしてしまうのだ。失礼ながらどのような躾を受けてきたのですかと伺いたくなるほどだ。
やばい、とは不都合である、危険であるという意味だ。そして、もともとはある特定の集団それも反社会的な人たちの中で使われる『隠語』である。かつて一般の人たちは間違っても使わない言葉であった。それに私の耳には、『やばい』という3つの音の連なりは美しい音として届かない。むしろ耳障りな不快な音に感じる。テレビで頻繁にお目にかかるお笑いタレントさんがまるで専売特許のように、『やばい』を連発しているが、この言葉の由来をご存知ですかと伺いたいものだと思ってしまう。どのような言葉を使うか―それはその人の内面を実によく反映している。とても怖い事なのです。(宮田修 千葉県長南町の宮司、元NHKアナウンサー)(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media-IR)