【コラム 江川紹子】藤井美濃加茂市長収賄容疑事件:俄然「やる気」の裁判長、またもや検察の権威失墜か
2014年10月27日 13:03
【10月27日、さくらフィナンシャルニュース=東京】
■崩れゆく中林証言の信憑性
収賄罪に問われた藤井浩人・美濃加茂市長の裁判(名古屋地裁刑事6部・鵜飼祐充裁判長)が、異例の展開を見せている。
24日に行われた被告人質問で実質審理は終了する予定だったが、弁護側が新たに申請した証人が採用され、贈賄側業者の中林正善社長の再尋問も行われることが決まったのだ。検察側がよりどころとしている中林社長の証言の信用性を巡って、裁判は、終盤になって新たな山場を迎えている。
新たに採用された証人は、中林社長が勾留されていた愛知県警中村警察署の留置場で隣の房に収監されていた男性(Aさんとしておく)。Aさんによれば、同署の留置場では、夕食後などは比較的自由に在監者同士で話ができた。中林社長とは年が近かったこともあり、お互いの事件や取り調べの苦労話なども打ち明け合った。
Aさんは4月23日頃、最初に逮捕された事件が不起訴となり、別件で再逮捕された。その頃、中林社長は連日のように検事の取り調べを受けていた。4月下旬、調べから戻った中林社長が、「検事から『人数が合わない』と言われている」などと、Aさんにこぼしたことがあった、という。
■「人数」が合わない?
その「人数」とは、中林社長が1回目に現金10万円を渡したとするガスト美濃加茂店で同じテーブルに座った人数のことを指すと思われる。
中林社長は、3月に行われた警察の取り調べでは、ガストでは藤井市長(当時は市会議員)と「2人きり」で会った、と供述。ところが実際は、共通の知人Tさんが同席していた。捜査機関は、4月25日にはガストの伝票を入手し、藤井市長らのテーブルの客の数は3人だったと知った。
贈賄に関する中林社長の最初の検察官調書は5月1日付だが、そこには、Tさんも含めて「3人」で会ったことが記載されていた。「2人きり」から「3人」へと供述が変わった理由について、中林社長は法廷で次のように説明していた。
「警察で話した時には、Tさんがいたかどうかはっきりしなかった。それで、『いなかったかな』と言ったが、『いなかった』と断定はしていない。(調書を作る際に)刑事さんから『(Tさんのことは)外しておくぞ』と言われ、『はい』と答えた。それで3月27日の警察官調書にはTさんがいないことになっている。検事さんの取り調べの前に、Tさんがいたことを思い出した」。
弁護側は、伝票などの証拠を示されて聞かれたのではないかと重ねて問うたが、中林社長はそれを否定。検事調べの前に、自発的に思い出したとくり返した。
一方、Aさんの話を前提にすれば、「2人きり」供述の矛盾を検事から指摘され、中林社長が説明に困った場面があったようだ。「3人」となれば、同席したTさんに知られないように現金を渡す工夫をしなければならないなど、「2人きり」の場合とは、犯行前の準備からして状況が全く異なる。Tさんが同行した事情なども説明しなければならない。
検察側が持っている他の証拠と矛盾のないストーリーにする時の苦労を、中林社長は思わずAさんにこぼしたのではないか。 その推測が事実なら、中林証言の信用性に対する疑念が生じる。
■検察官と連日打ち合わせ
中林社長は、先に拘置所に移管になったAさんと文通し、藤井市長の裁判での証言について、検察官と連日打ち合わせを行っている様子などを書いている。そこには、検察官との緊密な信頼関係をうかがわせる、こんな記載もあった。
〈私の公判では、検察側は、一切難しい事や批判めいた事は言わないそうです。すんなり終わらせるそうです。逆に、藤井市長の公判での尋問は、相当な事を言われる様ですが、私の判決には影響ないとのことです。検事からは、「絶対に負けないから、一緒に頑張ろう!」と言われてます〉
手紙では、新たな商売を計画したのでAさんの知人にも手伝ってもらいたい、と持ちかけていた。自分の事件が終わってもいないうちに、再び「詐欺のような」商売を始めようとしていることに驚き、義憤を感じたAさんは、藤井市長に手紙を出して中林社長の言動を知らせた。
藤井市長の弁護人が初めてAさんに会ったのは、中林証言の直前。その後、詳細を確認したうえで、証人申請を行った。
この裁判のように、事前に争点整理を行う公判前整理手続が行われた場合、検察・弁護側双方とも証拠や証人は公判前整理手続の中で請求しなければならないことに決まっている。裁判のスケジュールも細かく決められる。裁判が始まってから証拠や証人を請求できるのは、公判前整理手続の時には出せなかった「やむを得ない事由」がある場合のみだ。
検察側は、中林証言が終了した今になっての証人申請は「時期に遅れて」おり、「やむを得ない事由に当たらない」と、猛反対した。しかし、鵜飼裁判長は「やむを得ない事由に当たる」として、これを一蹴。中林社長の再喚問についても、検察側は「必要性がない」として反対したが、弁護側の申請を認めた。
■通常と異なる「対質尋問」
さらに、この証人尋問は、通常と異なり、Aさんと中林社長に同時に法廷に呼ぶ「対質尋問」というやり方で行うことも決めた。対質尋問では、争点ごとに、一方の証言について、すぐにもう一方の証人に確認することができる。言い分が対立する者の前での証言態度や、相対する証言を聞いた時のリアクションは、どちらの言うことが本当なのかを探る手がかりにもなるだろう。
被告人質問後に新たに証人尋問を設定したり、それを対質で行う、という異例な対応を見る限り、裁判所も中林証言の信用性に疑問を持ち始めているのだろう。スケジュールや慣例より、真相解明を重視するのは、裁判所として正しい対応である。
その牽引役になっている鵜飼裁判長は、中林社長の証人尋問では、自ら詳細な補充尋問を行った。
たとえば、中林証言によれば、2度の現金授受では、いずれも中林社長が「これ、少ないけど足しにして下さい」と金を渡し、藤井市長が「すみません」と言って受け取ったという。
鵜飼裁判長は。このやりとりが判で押したようにワンパターンである点を突いて、「まったく同じやりとりだったのか」、「このやりとりはいつ思い出したのか」、「その時の藤井さんの表情は?」などと、細かく問いただした。さらに、証言に至るまでに、どのような資料を見せられたのかについても聞いた。
中林社長が、本当に体験していることを述べているのかどうか、慎重に吟味しようとしているのがうかがえた。他の証人への尋問や被告人質問を聞いていても、鵜飼裁判長が証拠の隅々まで読み込んでいることがよく分かる。
■警察官、検察官は取り調べメモを開示すべき
私は、9月22日付の本コラム(※)において、鵜飼裁判長が初公判で証拠の要旨告知を行わせなかったことを批判し、その訴訟指揮に対する懸念を表明した。第2回公判以降の対応を見ていて、この懸念が払拭されたことは報告しておきたい(ちなみに、2回以降に出された証拠については、要旨の告知が行われている)。
弁護側は中林社長の供述経過を明らかにするため、警察官、検察官の取り調べメモを開示するよう求めている。また、中林社長を取り調べ、裁判で証人尋問を行った関口真美検事の証人尋問も請求。これについては、裁判所の判断は今後に持ち越された。
中林証言は、いったいどのようなプロセスを経てなされたものなのか?。
これは、証言の信用性を判断しなければならない裁判所のみならず、被告人である藤井市長、事件によって多大な迷惑を被った美濃加茂市民、さらにはこの裁判に関心を持つ国民の多くが知りたいことだろう。それを明らかにするために、多少の時間を要するのはやむを得ない。
真相にできる限り近づくための、裁判所の積極的な訴訟指揮を期待したい。【了】
*9/22付けの本コラム(http://www.sakurafinancialnews.com/news/9999/20140921_3)
えがわ・しょうこ/1958年、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1982年〜87年まで神奈川新聞社に勤務。警察・裁判取材や連載企画などを担当した後、29歳で独立。1989年から本格的にオウム真理教についての取材を開始。現在も、オウム真理教の信者だった菊地直子被告の裁判を取材・傍聴中。「冤罪の構図 やったのはお前だ」(社会思想社、のち現代教養文庫、新風舎文庫)、「オウム真理教追跡2200日」(文藝春秋)、「勇気ってなんだろう」(岩波ジュニア新書)等、著書多数。菊池寛賞受賞。行刑改革会議、検察の在り方検討会議の各委員を経験。オペラ愛好家としても知られる。個人blogに「江川紹子のあれやこれや」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/)がある。