鈴木裕子の「トーキョー・メンタルクリニック」(1)
2014年9月17日 15:15
【9月17日、さくらフィナンシャルニュース=東京】
■医師になる仕組みとは何ぞや?
私は都市の片隅で、日々診療にあたっている、キャリア十数年の精神科医だ。特に立派な研究をしてきたでもなく、たいして流行っている医院でもない、極めて平均的で平凡な医師である(腕が悪いとは思いたくはない)。
そんな私ではあるが、このたび文章を書く機会をいただけたので、日々思うことを少し書いてみたい。本題に入る前に、「医師になる仕組み」自体を知らない人が少なくないと思うのでふれておく。
まず私たちは、大学医学部の6年間で、基礎化学と全ての臨床科目を勉強し、医師国家試験にのぞむ。合格後、2年間の研修医期間を経て、それぞれ入局(就職)する医局を選択する。
自らの意思で何科の医師になるのか選ぶのだ。
その中で精神科を専攻する人は、「変わり者」か「楽をしたい人」とみなされる。私が医学部に入学した直後、精神科医になりたいと言う生徒は何人かいたが、勉強をしていくうちに自然科学に魅了され、内科や外科を希望するようになった人が多い気がする。
実際に精神科医になった学生は、当初の10分の1にも満たなかった。これには、医学部が理系であることも関係しているように思う。
■精神科は胡散臭さ満点
他の科では、採血データやフィルムに写った画像など、客観的な指標を基にして診断を下し、治療を組み立てることが基本であると教わる。
そのなかで、基本的には問診、視診しかなく、患者の述べる内容や、医師の経験による印象で、診断が下され治療が進んでいく精神科は、学部生や若い医師にとっては「胡散臭さ満点」なのだ。
医学部の5・6年では「ポリクリ」と呼ばれる病院実習があるが、精神科の実習では、医師が診察室で患者さんと数分はなし、
「ではこの薬を追加しましょう」
「薬はそのままで」
「入院の予約をしましょう」
と、方針が決まっていくのが非常に不思議で、そして退屈だった。
それなのになぜ精神科医になったのか。
私の年代や時代背景が大きく影響した気がする。
私が育った昭和という時代は、高度成長期には戦後の経済復興のため、個を殺して国家や会社の建前に合わせ、バブル期になると「金銭」というわかりやすい物差しで人間が評価された。
人間として大切なものを直視せず、経済繁栄ばかりを求めていると、いつかそのツケが来るだろう、と早熟だった私は思春期から感じていた。その経験から精神科医という職業は今後必要とされるのではないかと考えたのだ。
■精神疾患による経済損失は7.8兆円
長年、厚生労働省が重点的に取り組むべき4大疾病には、癌、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病が挙げられてきたが、2011年7月に精神疾患が加わり「5大疾病」となった。
精神疾患で医療機関を受診する患者は年々増加しており、2011年の数字だけ見ても320万人。癌患者153万人よりも、はるかに多い。2010年の厚生労働省の発表では、精神疾患による経済損失は7.8兆円とのことである。
また、1998年から連続14年間、自殺者が3万人を超え、その中の7割は何らかの精神疾患に罹患していると推察される。昔は「忌むもと」のとして隠されてきた「精神病」が身近な、無視できないものとなっているのだ。
都心では1駅に数件、主要な駅では10件以上のメンタルクリニックがひしめきあう。それでも、経営困難からの閉院は、聞かない。地方都市ではメンタルクリニックの初診予約は数ヶ月先まで取れないことも多い。
今では珍しくなくなった「精神疾患」は、明らかに「脳」という臓器の病気だ。つまり、どの時代でも発生率は一定していたはずである。「統合失調症」の発生率は、実際、一定である。
では、日本では何ゆえ精神疾患が増加し、メンタルクリニックが隆盛となったのか。次の稿では、そのあたりを深堀してみたい。【了】
すずき・ゆうこ/鈴木裕子
平成10年医師免許取得。大学病院、市中病院、精神科専門病院などで研鑽を積み、触法精神障害者からストレス性疾患患者まで、幅広い層への治療歴を持つ。専門はうつ病の精神療法。興味の対象は女性精神医学、社会精神医学、家族病理、医療格差など。数年前より都内某所でメンタルクリニックを開業し、日々診療にあたっている。精神保健指定医、日本医師会認定産業医。