川内原発、事故が起きた場合は「政府が責任もって対処」の説得力

2014年9月13日 19:40

 九州電力川内原発の再稼働に向けた動きが加速している。政府は地元、自治体の鹿児島県と薩摩川内市に再稼働を進める方針の文書を12日示し、「原発事故が起きた場合、政府は責任をもって対処する」との表現を入れた。

 地元の理解を後押し、再稼働にこぎつける狙いがある。事故が起きた場合、政府が責任をもって対処するのは当然だが、起きないように、ありとあらゆる懸念を払拭させておくことこそ、再稼働決定前に政府がやるべき国民への責任ではないのか。

 安全性の担保を、すべて原子力規制委員会の新規制基準の枠内に担保させ、規制基準にもられていない部分は安全努力義務程度に先送りし、再稼働を優先させる。

 産業界とともに原発輸出を進める安倍政権にとって、国内での原発再稼働は「安全な原発」との発信を裏付ける証拠として必須条件だ。エネルギーの安定供給という大義名分のもと、原発産業界と経団連、安倍政権のエネルギー・産業政策が同方向にある。

 原子力規制委員会は川内原発の1号機、2号機の再稼働について「基準に適合している」と結論付けたが、安全性を担保しているものではない。今更ながらだが、原子力規制委員会の田中俊一委員長は「基準を満たしているだけで、安全性を保障するとは言っていない」と繰り返し発言してきた。

 都合の悪い発言は無視し、「世界で最も厳しい基準」を標榜し、この基準に適合したので安全が担保されたかのように情報を発信する世論操作は慎むべきだろう。

 新基準に適合しているとの判断が原子力規制委員会で判断された。そのうえで、政府として、さらに安全面で懸念されている案件について検討すべき。そして、その結果を公表して政府として責任をもって再稼働を認め、万一、事故が起きた場合に政府として責任を持つ。政府としては、事故に対してこれだけの対応能力があるとの説明までが、地元はもちろん、国民や世界に対して発信されなければ再稼働はさせるべきではない。

 政府が事故に責任を持つと明言しても、政府の原発事故への対応能力は東京電力福島第一原発事故の対応状況をみれば一目瞭然だ。安倍晋三総理は2020年のオリンピック・パラリンピック誘致のため世界の場(国際オリンピック総会)で汚染水問題への懸念に対し「状況はコントロールされている」と強調した。

 しかし、東京新聞が今年5月に報じた「汚染水、外洋流出続く、首相の『完全ブロック』破綻」の記事によると「東京電力福島第一原発から漏れた汚染水が沖合の海にまで拡散し続けている可能性の高いことが原子力規制委員会の公開している海水データの分析から分かった」とコントロールできていない現実を伝えた。

 海水中の放射性セシウム137濃度が事故前の水準の2倍以上の0・002から0・007ベクレルで一進一退が続いているという。東京新聞は「福島沖の濃度を調べてきた東京海洋大の神田穣太教授は『低下しないのは福島第一原発から外洋への継続的なセシウムの供給があるということ』と指摘する」と紹介し「海への汚染が続いていることを前提に不測の事態が起きないように監視していく必要がある」と慎重に監視していく必要を紹介している。

 こうした状況で、事故に責任を持つと言われて安心できるだろうか。再稼働前に少なくとも「基準地震動を620ガルとしたことは過小評価で、耐震安全性は全く保証されていない」との指摘や「カルデラ噴火について前兆をとらえたとしても燃料の運び出しのための冷却に数年はかかる。燃料をどこへどうやって運ぶのかも。多くの火山学者が『立地不適』と指摘していることに耳を傾けるべき」との指摘に答えるべきだろう。

 また、地元自治体だけでなく、30キロ圏内にある自治体の同意を取り付けることは、政府の責任として果たすべきで、同意が得られない状態での再稼働はあってはならない。事故が起きた場合に責任をとるというなら、住民の理解を得て再稼働させることは最低限、果たすべき国としての責任だろう。でなければ、福島第一原発事故を教訓にエネルギー政策を進めているとは到底言えるものではない。(編集担当:森高龍二)

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