新幹線開業50年 進化し続けてきた新幹線の夢
2014年8月31日 21:51
1964年10月1日午前6時、大阪行き「ひかり1号」はブラスバンドの演奏に送られ東京駅9番ホームから定刻通り発車した。あれから50年が過ぎようとしている。各地でそれを記念するイベントが開催され、さまざまな関連商品も発売されている。高度経済成長、バブル経済、新幹線は発展する経済の象徴であり、未来への夢を運び続けた。
新幹線開業以前は東京~大阪間は6時間半を要していた。それが4時間に、翌65年11月には3時間10分に短縮され、東京、名古屋、大阪の三大都市の距離が一気に縮まった。さらに86年には新幹線の最高速度は220キロに引き上げられ、東京~新大阪間は3時間を切った。92年には最高速度は270キロとなり、「のぞみ」がデビューした。「こだま」(音)より速いのは「ひかり」(光)。そして、「ひかり」より速いのは? 誰もが答えに窮してしまった。「のぞみ」の名称を決めるにあたり、このようなエピソードもあったようだ。
新幹線には次々と新たな技術が導入され、高速化を果たした。それとともに、日帰り可能なエリアはどんどん広がり、東京への一極集中という形で日本の国土は狭くなった。「新幹線整備の伸展によって、本社機能の移転、支店の統廃合、取引コストの低下などにより労働生産性は飛躍的に向上した。また、企業活動の最適配置が進むことで金融機関の統合や生産工場の集約など、企業合併や生産設備の統合を促した」そう評価するアナリストもいる。
開業当初は1日86本だった東海道新幹線の運行本数は、今や342本。ピーク時には通勤電車並みの3分間隔で運転されている。1日に約40万人の旅客を運び、50年間で運んだ乗客は延べ54万人超に及ぶ。JR東海<9022>を代表する稼ぎ頭だ。そして、乗客の死亡事故ゼロという「安全神話」を築いた新幹線は、システムも含め海外展開に意欲を見せている。
リニア中央新幹線の計画もあるが、新幹線は常に時代のシンボルであり、子ども達だけではなく大人にも未来への夢をかき立ててきた。現在の東京一極集中は果たしてその夢の結果なのだろうか。開業から50年を経過した新幹線は次に我々にどんな夢を抱かせてくれるのだろうか。(編集担当:久保田雄城)