【コラム 新井誠一】政策評価制度10年の軌跡(1)
2014年8月13日 12:24
【8月13日、さくらフィナンシャルニュース=東京】
■導入から「評価新時代」まで
21世紀の到来とともに、我が国の行政のプラン偏重を是正するために政策評価制度が導入されて約12年が経過した。
筆者は、制度導入時の平成11年、当時の総務庁行政監察局に設置された「政策評価等推進準備室」に在籍し、ガイドラインの策定など政策評価制度の導入に向けた設計に携わったが、当時は、国レベルでの評価制度は存在しておらず、その設計を検討するに当たっては、いわば「ゼロベース」からスタートするに等しいという状況であった。
■制度の導入と中央省庁再編
政策評価制度の導入は、橋本龍太郎元総理自らが会長を務めた行政改革会議が、「中央省庁再編に合わせて、各府省の業務運営についてプラン偏重を改めて評価を重視すべき」との見解を表明したことを受けて、検討が開始されたものだ。
検討に当たっては、政府内にとどまらず、外部から広く知見を集めることとし、村松岐夫京都大学大学院法学研究科教授(当時)をはじめ、学界、公認会計士、シンクタンクから7人の有識者の参集を求め、「政策評価の手法等に関する研究会」を編成した。
その際、既に評価の取組が先行している諸外国や地方公共団体の取組事例を参考にするとともに、海外調査も実施した結果、徐々にではあるが、評価システムの骨格が明らかになっていった。「まずは内外の知恵を総結集する」との姿勢で臨んだことが、ゼロベースからの検討に活路を見出したのである。
■制度見直しと経済財政諮問会議の議論
政策評価法は、国会審議で施行3年後に見直す規定が盛り込まれたが、筆者は再び総務省行政評価局でこの全面見直しに携わった。
政府の制度見直し作業を牽引したのは、総務省だったが、折しも経済財政諮問会議が精力的に予算・決算と政策評価の連携強化を議論しており、政策評価制度の見直しも主要テーマの一つに位置付けられた。
当時の麻生太郎総務大臣、谷垣禎一財務大臣に対して、政策評価書と予算書、決算書の単位を合わせるよう検討を求め、平成17年の骨太方針や「政策評価に関する基本方針」を改定する閣議決定に反映された。
こうした議論は、いわば予算との関係を特に深めて議論する経済財政諮問会議が、総務省の見直しを深堀りする形となり、いわば「見直しのベストミックス」といってもよい形で連携がなされた。
■総理官邸、国会、学界の議論
また、当時の小泉純一郎総理から、内閣総理大臣が通常国会で行う施政方針演説などで表明する内閣の重要方針を、各府省の評価体系に位置付けるよう、閣議で指示がなされた。
さらに、国会においても、参議院行政監視委員会、さらには参議院本会議において、「政策評価制度に関する見直しの決議」が全会一致でなされるなど、政府の見直し作業に対するチェックが行われ、総務省においては、これらの動向を見直し作業に反映させた。
この間、我が国で唯一、行政評価全般をテーマとしている日本評価学会の総会で発表を行うなど、学界とも連携が深化した。
政策評価制度は、導入から3年後の全面見直しを経て、いわば「評価新時代」に突入したとも言える。
今回は、制度導入からの5年間の軌跡を追ってきたが、次回は、その後2度の政権交代を経て、政策評価の機能強化が求められるに至った流れを俯瞰することとしたい。【了】
注:本稿は、個人として投稿したものであり、組織の見解を代表するものではありません。
あらい・せいいち/1992年に東京大学法学部を卒業後、総務省(旧総務庁)に入省。大臣官房で国会関係業務に携ったほか、主に行政管理、行政評価を推進。2001年の中央省庁等改革の際、政府における政策評価制度の導入に参画。また、2度にわたり内閣官房に出向し、行政改革の推進を担当。