世間で言われるような「華麗なる転身」なのか? ローソンの新浪剛史会長がサントリーHD社長に転ずる

2014年7月6日 00:23

 ローソン会長・新浪剛史氏(55歳)は、5月に開催されたローソンの株主総会で社長職を玉塚元一最高執行責任者(COO)に譲り、自らは代表権のない会長職となった。それ以降、ローソン本社には出社していないという。

 新浪剛史氏という経営者は明快な語り口、そして長身でがっちりした体躯から、豪放磊落な側面が強調される。しかし、経営については、とにかく繊細だといわれる。

 その新浪剛史氏が、今年の秋にサントリー・ホールディングス(HD)の社長に就任すると報道されたのは記憶に新しい。

 新浪剛史氏は、ダイエー破綻へのプロセスのなかで、コンビニチェーン「ローソン」の経営者として、加盟店オーナーとの信頼関係構築をきめ細かく実行してきた人物だ。加盟店オーナーを最優先に考える新浪氏の経営姿勢は、緻密で繊細だと高い評価を受けた。そして、人間味溢れる経営者として加盟店オーナーから支持された。

 一方、サントリーの創業者・鳥居信治郎氏は1879年、大阪の両替商・米穀商の次男として生まれ、13歳で薬問屋に奉公。商品として扱っていた洋酒についての知識を習得。1899年、弱冠20歳にしてサントリーの前身である鳥井商店を創業し、2年後の1921年に株式会社壽屋を設立した。「鳥井の鼻」と呼ばれるほどの天与の鋭い臭覚を活かし、「赤玉ポートワイン」「サントリーウイスキー」などのヒット商品を世に送り出す。早くから「広告の天才」の異名をとった宣伝巧者でもあった。

 その鳥居信治郎氏の人となり・人物像は山口瞳・開高健共著「やってみなはれ みとくんなはれ」(新潮社)に詳しい。

 ウイスキーの商品名であるサントリーを企業名としたのは、1963年のビール事業への再参入時だった。サントリーは戦前から今日まで同族経営を続ける特大企業である。ビールへの再参入を決めた2代目社長・佐治敬三氏は、鳥居信治郎氏の次男だ。長男・吉太郎の早世のため親族の養子となった敬三氏が佐治姓で社業を引き継いだ。現・サントリーHDの佐治信忠社長(68歳)は敬三氏の長男である。

 そのサントリーHDの社長として新浪剛史氏を迎えるというのだ。現社長の佐治氏は、この人事が明らかにした後、いくつかのメディアの取材に応じて、「新浪氏は数年前から意中の人物だった」と述べ、新浪氏を「三顧の礼をもって迎える」と語ったという。「三顧の礼」は『三国志』で蜀の王、劉備玄徳が自分よりも20歳以上も若い諸葛亮を軍師として迎える際に、自ら三度訪ねた故事に由来する。佐治氏は新浪氏のローソンで行なったあらゆる挑戦を「やってみなはれ」というサントリーの企業風土に合致した人物と評価している。

 しかしながら、前述したようにサントリーは最優良の同族大企業である。社員が抱く創業家(鳥居・佐治家)へのロイヤリティは絶大だ。また、「創業家は社員を最後まで面倒を見る」という。創業家と社員をつなぐ信頼関係は、極めて緊密に企業グループ全体に行き渡っている。

 果たして、新浪氏はサントリーでもイノベーションを起こせるのだろうか。?新浪氏はローソンで、社員の心と1万人近い加盟店オーナーの心をがっしりと掴んだ。しかし、コンビニチェーンのローソンと同族企業の名門サントリーとでは企業体質がまるで違う。就任当時、ローソンの経営は傷み荒んでいた。そんななかで徹底したスクラップ&ビルドを行ない、新浪氏独自のコンビニチェーン・ローソンを構築してきた。外部から優秀な人材を自らスカウトしながら、企業文化そのものを根本から変えたのである。

 過去にキリンビールとの合併に失敗したサントリーは、今期米ビーム社を買収するなどグローバル化を急いでいる。処方箋を書き、必要な施策を次々と打ってきたのは佐治社長だ。新浪社長就任後には代表権を持った会長となるが、佐治氏が経営の一線から退くわけではない。社長と会長の協調体制が必要となる。そこにはサラリーマン社長には見えない、同族会社という轍がないとしたら嘘になるだろう。

 こうした限定的な環境のなかで、新浪氏はサントリー社員からどれだけの信頼を勝ち取ることができるだろうか。佐治・現社長は新浪氏にグローバルなビジネス展開の牽引役となることを期待しているし、強く望んでいる。が、ローソンで新浪氏は、グローバルビジネスにおける挑戦はほとんどなく、成果も結果もないのが現実だ。が、氏の経営手腕に期待が高まっている。これは事実だ。

 新浪氏には、もうひとつの大きなミッションがある。昨年夏に株式上場したサントリー食品インターナショナルの社長である鳥井信宏氏(48歳、創業者・鳥居信治郎の曾孫)に襷(たすき)をつなぐという役割だ。

 奥田碩、張富士夫、渡辺捷昭の3氏が襷(たすき)をわたして、トヨタ自動車を完璧な経営状態で創業一族の豊田章男氏に返還したような、縁の下の番頭(力持ち)としての役目をも担うことになる。(編集担当:吉田恒)

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