喉元過ぎれば原発新増設か 高料金でも安全選べ

2014年2月1日 13:29

 原発再稼動への流れを促進したい電力各社の姿勢が東京電力福島第一原発事故発生から歳月の経過とともに強まっている。今も原発事故でふるさとに戻れないでいる人たちはもちろん、原発はもういらないと望んだ多くの国民はどれほど、その姿勢に苛立ちを感じているか。

 国内の原発は今、すべて停止している。そして、7社16プラントが適合性の確認申請をしている。再稼動に至っていない。

 そのために「電力需給が逼迫した」「工場稼働率を何割ダウンさせなければならない」「官房長官が家庭の消費電力を何%控えてほしい」など要請や使用電力に規制がかかったということは聞いていない。

 聞くのは「電力会社の収益が悪化した」「火力燃料費の負担増が続いている」「円安と火力発電の燃料輸入で貿易収支が大幅赤字になり、国富が流出している」など電力会社の論理や貿易上の経済的損失論ばかりで、「安全性が確実に担保され、かつ原発を抱える地元の住民の了解、さらに、万が一の『想定外』事故による地球環境への汚染の責任への担保」などそうした視点の議論は徐々に影を薄めている。

 「とんでもない話である」。今月24日、東電・北電・東北・中部・北陸・関電・中国・四国・九州・沖縄の電力10社で構成する電気事業連合会の八木誠会長(関西電力社長)は記者会見で「すべての原発が停止し、再稼動に至っていない。このため電力需給は厳しい状況で、節電の不便に加え、(電気料金)値上げにより多大な負担をかけているのでお詫びする」との旨を語った。

 原発事故を思うとき、節電も享受できるし、値上げも合理的なものであれば享受できる。多くの国民は危険な原発の再稼動に依存するエネルギー供給など望んでいないのではないか。

 人類はもちろん、あらゆる生態系に大きな影響を与える原発事故は二度とあってはならない。基本的にその源を断つほかにリスク回避はないと思うべきだ。人が住めなくなった福島のエリア。日本の居住面積が確実に侵食され、狭められたという事実は否めない。

 その責任は一義的には原発により利益を得る電力会社に存することは当然で、今回の事故による東京電力のトップをはじめ全社員にはその自覚を改めて求めたい。

 電力各社は原発に依存しないエネルギー源の確保にこそ、協力や制度支援を政府に求めるべきで「再稼動」や「原発の新増設」へ弾みを求める業界トップの姿勢には「人類をはじめとした生命体すべてに責任を負えるのか、どう責任をとる覚悟があるのか」問い質したくなる。

 安倍総理は今のところ原発新増設は考えにないことを示しているが、原発再稼動への理解を地域住民に説明するような段階になる前に、電力会社のトップと執行役員については再稼動原発の最も近い町に配偶者や家族を住まわせるくらいの条件を設けてしかるべきだろう。安全性に自信があることを継続的に立証して頂きたいと考える。

 最近、再び「原発の安全性が原子力規制委員会で確認されたものについては、早々に再稼動を」と再稼動の早期実現を求める声がマスコミでも度々取り上げられるようになった。

 電力業界トップは判で押したように「低廉で良質な電気を安定的にお届けする社会的使命を果たすために」と理由づける。電気事業連合会の八木誠会長は「原発停止の長期化は日本の経済・社会にとっても国富流出、産業競争力の低下、温室効果ガス排出量の増大など深刻な影響を及ぼす」とし、原発再稼動を早期にすべきだと言いたげな発言をしている。

 それどころか、記者会見で「安全確保を大前提に、原発を活用していくことを中心として、国のエネルギー政策に貢献していく決意」と語り、エネルギー供給に原発活用を中心とする考えを示した。

 東電福島第一原発事故があったその年の会見で、こうした発言が出来ただろうか。原発を活用することを中心とするエネルギーの供給には国民感覚との間にズレがあるのではないか。脱原発や原発依存度低減を求める声は経済優先のトップに届いていないようだ。

 電力各社のトップにお願いしたい。電力コストの中の人件費だが、未だに全産業平均値に比べ、電力業界は相当高いレベルにある。電力が完全自由化の状況で企業努力による果実を従業員に配分するというのであれば当然の話だが、ほぼ独占企業状態の現況でこうした是正努力もなく、電気料金に反映されることに疑問を持たざるを得ない。

 すべてのコストを再点検したうえで、原発に頼らない電力供給による電気料金値上げが行われるのであれば、「安全担保料」と受け止め、国民の多くは理解し、需要急増による節電にも国民の多くは協力するだろうことを念頭に、エネルギー源の再構築に本腰を入れて取り組んで頂きたい。

 原発は地球の生命体に責任を負う覚悟で臨む必要があり、原発に依存しない経営姿勢、さらに廃炉への意識へ大転換を強く求めたい。投資額から40年を超えるプラントの稼動見直しまで求めるような風潮は絶対にあってはならない。(編集担当:森高龍二)

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