企業再生を取り巻く環境変化

2012年2月13日 11:00

 日本航空の業績が順調に回復し、この秋にも東京証券取引所に再上場するのではないかと取り沙汰されている。過去、経営破たんで上場廃止になりながら再上場を果たした「先輩」には、どんな会社があるのだろうか?

 70年代まで、会社更生法(当時は民事再生法は施行前)を申請した破たん企業の再上場は、株券を紙くずにされた株主、債権の減免を強いられた債権者、人生を狂わされた社員の手前、「ありえない」とされていた。その壁を破って1980年、大証2部に再上場を果たした大先輩が山陽特殊製鋼 <5481> である。1965年に会社更生法を申請した破たん劇が山崎豊子氏の小説「華麗なる一族」のモデルになったこともあり、再上場当時は「奇跡のカムバック」としてメディアに取りあげられた。それから30年以上が経過し、今では特殊鋼分野で優れた技術力を持つ新日鐵の関連会社として存在感を示している。

 1978年に大型倒産事件としてメディアを騒がせたプレハブ住宅メーカーの永大産業は、会社更生法申請から 29年経過した2007年に東証2部に再上場している。住宅の床材やシステムキッチンなどに特化した堅実な経営で、評判は悪くない。だが、悪い先輩もいる。1962年に会社更生法を申請して倒産し、20年後の1982年に大証2部に再上場を果たした大王製紙である。ご存知のように昨年、前会長が会社法違反・特別背任容疑で逮捕され、とても上場企業とは思えないようなコーポレート・ガバナンスの実態が明らかになったが、2度目の上場廃止の危機はかろうじて回避された。

 90年代以降は再上場をめぐる環境が変化して、経営破たんから再上場までの年数が短くなってくる。ランプ製造のフェニックス電機(現・ヘリオステクノホールディングは1996年の店頭登録取り消しから6年でジャスダックに上場し、持ち帰り寿司の京樽(現在は吉野家HDの完全子会社化で非上場)は1997年の会社更生法申請から8年でジャスダックに再上場。流通のヤオハンジャパン(現・マックスバリュ東海は1997年の会社更生法申請の7年後に東証2部に再上場した。2000年代になるとさらに早まって、4年とか2年で再上場を果たす企業が現れており、もし日航が2年余りで再上場しても特段早いというわけではない。

 80年代頃までは上場企業は一種のステータスで、会員権に「上場会社役員に限る」という条件をつけるゴルフ場もあったほどだった。「つぶれない」はずの上場企業が破たんすると世間の目は非常に冷たく、山陽特殊製鋼や大王製紙の再上場はレア中のレアケースだった。しかし、現在は新興市場が次々と生まれて東証や大証の上場審査基準も緩和されたので、「上場企業の値打ちは昔ほどではない」「上場企業の倒産は珍しいことではない」というのは、たいていのビジネスパーソン、投資家の共通認識だろう。

 企業再生のスキームも洗練されてきた。経営破たんしても技術力やビジネスモデルへの評価が高ければ良い再建スポンサーがつき、更正手続きや経営立て直しが急ピッチで進む。緩和された上場審査基準のおかげで早期の再上場も望めるようになった。もちろんその裏では上場廃止後に消滅の道をたどる企業も少なくないのだが、破たんしても上場企業に復帰できる可能性は20年前と比べて格段に大きくなった、ということは言える。

 日航が再上場できるのは企業再生を取り巻く環境の変化の助けも大きいのである。再上場の日に記念フライトを飛ばして経営陣や社員がめそめそ泣いたり、感動を安売りするストーリーをメディアを通じて垂れ流しするようなことは、願い下げだ。

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