アポロ1号の火災事故から44年

2011年1月29日 08:00

 2011年1月27日、アポロ1号の火災事故から44年が経過した。この日、事故で亡くなった宇宙飛行士を追悼する式典がNASAのケネディ宇宙センターで開かれた。

 1967年1月27日、アポロ計画で初の有人宇宙飛行となるアポロ1号の訓練リハーサルが進められていた。搭乗クルーのガス・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーの3宇宙飛行士もいよいよこの新しい宇宙船を試験するために、宇宙服を着用し、船内に乗り込んだ。

 ハッチがしっかりと閉められ、船内には酸素で加圧され、試験が始まった。管制センターとの通信不調、高い酸素流量のアラームなど、色々問題は発生していたが、試験は進められていた。

 しかし、夜6時31分、突然「火だ。火が燃えている」という声が通信から聞こえてきた。

 チームは直ちに宇宙船に駆けつけ、ハッチを開けようとしたが、ハッチは内側に向かって開く構造だったため、内部を減圧しなければ開けられなかった。結局、ハッチは火災発生から約6分後に開けられたが、時はすでに遅く、3人の宇宙飛行士は全員亡くなっていた。


 事故の原因は、電気配線の絶縁材が磨耗して剥れたことにより火花が生じ、高濃度の酸素で満たされた船内に、瞬く間に炎が広がったことが、後に事故調査委員会によって特定された。また、3人の死因も焼死ではなく、一酸化炭素中毒死だったが、遺体は激しく焼かれていた。

 この事故で、アポロ宇宙船の再設計が行われ、ハッチの構造変更、不燃素材との交換、配線問題の修正などが行われた。アポロ1号は元々「AS-204」という呼称で呼ばれていたが、亡くなった3人に敬意を払い、NASAは「アポロ1号」と命名した。

 アポロ計画の成功、宇宙開発の発展に命を捧げた3名の宇宙飛行士のご冥福を、心からお祈りいたします。

 写真=NASA。

 ■NASA - Day of Remembrance
http://www.nasa.gov/externalflash/dor11/

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