新型コロナの「専門家」による再三のご託宣に倦んで、徐々に広がる「オオカミ少年効果」!

2021年7月10日 09:25

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 「オオカミ少年効果」という表現がある。日本は過酷な自然災害に見舞われて来たため、より早く正確な予報を社会に提供するメリットは計り知れないが、あくまでも予報なので、常時ズバッと当たるとは限らない。

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 計算速度世界一のスパコンに、考えられる限りのデータを投入しても当たるとは限らないから、ピンボケの予報が続くと度重なる避難行動に疲れてしまい、肝心な時に逃げ遅れてしまう例は少なくないようだ。こうした現象を、イソップ童話の「オオカミ少年」になぞらえて、「オオカミ少年効果」と呼ぶ。

 新型コロナウイルスを巡る「専門家の警鐘」にも、「オオカミ少年効果」が及んでいるようだ。

 「野生動物が起源の、得体のしれない恐ろしい感染症」というイメージは、人々の行動に大きな影響を与えたし、そこからの連想で全国一斉に小中学校が臨時休校するという、前代未聞の事態が人々に与えたインパクトは大きい。企業にはテレワークが推奨されて、人々の流れは目に見えて減少した。混乱の中で、根拠が薄弱なまま目の敵にされる業種も出て来るという混乱も生じている。

 新型コロナウイルス問題が認識されて既に1年半の歳月が経過しているため、素人目にも新型コロナの実相が認識できるようになってきた。

 亡くなるのは主に高齢者や基礎疾患がある人達で、死亡者数が年間1万人程度であるところは、例年繰り返されて来たインフルエンザの感染状況と大差がない。手洗いうがいの励行や3密の回避が奏功したためか、インフルエンザの犠牲者が極端に減少したところなどは、感染の主体がインフルエンザから新型コロナに置き換わったかの印象さえ抱かせる。

 「オオカミが来るぞ!」と警鐘を鳴らす専門家の言葉が当初程のインパクトを持たなくなったのは、社会の人々が感じている「大袈裟じゃないの?」という感覚との間に発生したギャップがあるからだ。

 マスコミは「人流が増加している」と伝えているが、マスクを着用するなどという基本を守った上で外出することに抵抗がないという前提で考えると、人波が増加するのは当然のことだ。多くの人々が専門家をオオカミ少年と思っているかどうかは分からないが、意識の乖離が拡大していることは間違いない。

 天気予報の場合は、関係する膨大なデータがスパコンに投入されるが、新型コロナの専門家は、エビデンスも示さずに「人流が危ない」「・・・に間違いない」と断定する。マスコミが判断の根拠を追求しないから、まるで教祖様のご託宣のように結論だけが降りて来る。

 感染しても無症状や症状が軽い場合が多い若年層や、顕著なダメージが少ない中・壮年層に行動制限を求める根拠が明示されなければ、意識の乖離は今後ますます拡大する筈だ。問題があるとすれば、社会活動の中核を担っている若中壮層と、高齢者や専業主婦のように社会との接点がワイドショーなどに偏重している人たちとの間に発生している認識のギャップだ。そのギャップを煽っているのが専門家やマスコミである。

 新型コロナに関連して大きな問題なのは、医療体制の逼迫という問題だ。新型コロナが2類感染症に指定されているが故に、医療機関には相応の設備が求められるのだが、開業医の診療所にそんな設備はないというのが医師会の立場だ。日本の医療体制は充実していた筈なのに、新型コロナによって医療体制の穴と、頼りにならない医師会の実態が明瞭になったのは皮肉という他ない。死亡者の数を考えると、季節性インフルエンザ程度の医療体制があれば何の問題もない筈なのだ。

 9日の日経新聞が、厚労省で新型コロナの感染症上の扱いを見直す検討が始まった、と小さく伝えている。季節性インフルエンザ程度の5類感染症に変更されれば、日本の医療体制は盤石だ。変更が実現するにしても、来年2月に到来する期限が目途になるだろうが、日本における新型コロナの扱いは劇的に変わる。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る

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