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果たして宇宙に始まりの瞬間はあったのか?
宇宙はビッグバンによって始まったのだろうか?[写真拡大]
我々が物事を考える時、どうしても人間的な先入観が入ってしまう。人生は生まれた瞬間に始まり、死を迎えた瞬間に終わる。そして人間はなぜか物事には始まりと終わりがあるという前提に立って、考察をする癖がある。だが、物事には必ず始まりと終わりがあるという仮定は、科学的あるいは理論的に証明された真理ではない。
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宇宙は今から約138億年前にビッグバンによって始まったと信じて疑わない人間は多い。だが、果たして宇宙における時間はビッグバンで始まったと本当に言えるのだろうか?
実はこの理論には致命的な欠陥が潜んでいる。もしも宇宙空間に存在しているすべての物質が大きさのない点に集約されていたとするならば、そこに時間や空間を定義することに意味がないからである。
従来科学者たちは始まりの瞬間を特異点と呼び、時間も空間もゼロであった瞬間が存在していたと人間的な先入観で勝手に思い込んでいた。だが、そもそも宇宙に始まりの瞬間があったのかどうかは非常に疑わしいと考えるのが最先端科学の常識である。
いっぽうで量子論の世界では空間とは、対となる素粒子間の量子もつれが複雑に織りなす綾であると考えられるようになってきた。量子もつれを利用すれば情報の伝達はどんなに遠く離れた宇宙空間であっても瞬時に可能になる。電波による情報伝達が光速の壁を越えられないのとは対照的である。
人間の科学は光や電磁波による情報伝達については完全に掌握できており、コントロールも自在にできるが、情報の瞬間移動が可能な量子もつれについてはまだコントロールのすべを持たない。
これらの情報伝達の違いは時間を必要とするか否かにあるが、人類は時間が存在する世界については完全に掌握しているが、時間の概念が存在しない世界については量子もつれのような断片的な現象の存在に気が付いたに過ぎない。
つまり時間の存在する世界と時間の概念がない世界の両方について理論的に掌握できていなければ、宇宙には始まりの瞬間があったと考えること自体、人間の狭い視野に偏った先入観の塊でしかないのである。(記事:cedar3・記事一覧を見る)
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