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歴史の偉人から学ぶ出世・キャリアアップ法 家康から全幅の信頼受けた本多正信の信用醸成力
仕事がデキる人には、一体どのような共通点があるのでしょうか。与えられた仕事を完璧にこなすことや、人としてのマナーに優れているなど、挙げればキリがありません。もちろん、仕事への責任感やマナーも大切です。しかし、これらの本質には、上司と部下との間に「信頼」が醸成されていることを忘れてはいけないでしょう。つまり、「この部下になら仕事を任せておける」という上司の信頼があって初めて、仕事がデキる人というイメージが形作られるといっても過言ではありません。
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歴史の偉人のなかにも、主君から全幅の信頼を勝ち得たことにより、不動の地位に上り詰めた武将がいます。その人こそ、この記事で紹介する本多正信(ほんだ・まさのぶ)です。正信は徳川家康に仕え、その参謀として、家康からもっとも信頼をおかれた武将の1人として知られています。しかしこの主君と家臣の関係は、初めから水火も辞せぬ間柄であったわけではありません。
正信は若くして家康に仕えていましたが、永禄6年(1563年)に三河で起きた一向一揆の時、主君の裁断に不満を訴え、命令に背いてしまいます。それでも家康は正信を許し、彼を配下に残すことを良しとしましたが、心苦しさを感じた正信は家康のもとを離れてしまいました。
それから約20年後、本能寺に変が起こり、身の危険を感じた家康は急ぎ帰国の途につきました。しかし供回りの数が少ないこともあり、これを機会とする野盗にも襲われ、家康の人生において最大のピンチを迎えてしまいます。その家康のもとへ馳せ参じたのが正信です。彼は20年前の恩義に報いようとでもするかのように、命懸けで主君の窮地を救ったのでした。以来、家康は正信を側におき、全幅の信頼をもって重用するようになったのです。
自分の窮地に正信が駆けつけてくれたおかげで、家康がホッと胸をなでおろしたことは想像に難くありません。このことを見ても分かるように、自らの身に危機が迫った時、それを懸命に処置してくれる部下ほど、上司が信頼を寄せる者もいないでしょう。果たして正信が、計算の上で殿を救ったのかは今になっては分かりませんが、現代のビジネスマンの処世術にも通じる部分があります。
また、自分自身が人の上に立つようになった時も、この考え方を忘れないようにしたいものです。正信が主君を身命を賭してでも助けようと思えたのも、家康特有の温厚な人柄と、決して私利私欲では物事を捉えない徳が家康自身に備わっていたからでしょう。自分が窮地に陥った場合でも、部下がそれを見て心から助けたいと思える、そのような上司になるよう心掛けてください。
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