「人間」らしく生きることを問う映画、「三度目の殺人」のタイトルをどう見るか

2017年9月24日 19:59

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法廷劇というよりも、それに翻弄される人間を描いた「三度目の殺人」。福山雅治の冷徹な弁護士役も必見(c)2017フジテレビジョン/アミューズ/ギャガ

法廷劇というよりも、それに翻弄される人間を描いた「三度目の殺人」。福山雅治の冷徹な弁護士役も必見(c)2017フジテレビジョン/アミューズ/ギャガ[写真拡大]

■上映がスタートした「三度目の殺人」

 2017年9月9日から全国の映画館にて「三度目の殺人」の上映がスタートした。興行面や集客面では特に話題に上っていないが、邦画らしくラストに観客に「問い」を投げかける映画となっていた。特に、タイトルに込められた意味は観賞後に考えたいものだ。

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■物語は三隅の殺人からはじまる

 深夜の河川敷にて三隅(役所広司)は前の職場で世話になっていた社長を殺害し、遺体を放火する。その容疑で三隅は裁判を受けることになり、摂津(吉田鋼太郎)が彼の弁護をする予定だった。だが、彼は面会する度に供述を変更する面倒な容疑者で、同じ事務所の重盛(福山雅治)にも助力を申し出る。

 重盛も三隅の案件に関わることになるが、彼は会う度に不思議な話をして真実を話そうとしなかった。挙句の果てに三隅は、社長の妻である美津江(斉藤由貴)から依頼されて殺害を行ったと供述し始める。重盛は本格的に三隅のことを調べ始めると、過去に殺人を犯すも重盛の父で元裁判長の彰久(橋爪功)の判決により死刑を免れていた。また、彼が借りていたアパートの管理人に会っても悪いイメージは無かったと証言する。

 しかし、三隅の部屋には、殺された社長の娘である咲江(広瀬すず)がたまに訪れていた可能性があることが分かってくる。彼女が三隅の元へ訪れることに何か理由があると重盛は考え始める。そこで、重盛は三隅がはじめて犯罪を犯した北海道を訪れ、彼のことを知る人間から情報を得ることにする。すると、三隅を知る人間は「三隅は器のような人間だ」と発言する。

■裁判で下された結果は……

 三隅の動機はともかく、重盛は美津江が主犯であることを争点にして死刑を免れる法廷戦略を立てる。しかし、いざ裁判がはじまると咲江が三隅とつながりがあることを重盛たちに告げる。彼女は父親である社長から性的虐待を受けており、それを聞いた三隅が自分の代わりに社長を殺害したと供述する。

 重盛は事実確認のため三隅にも咲江との関係について質問する。しかし、その事実を突きつけられた三隅は「自分は社長を殺していない」と言い始める。あまりの手の平返しに重盛も困惑するが、重盛は真実を語っていると感じる。しかし、すでに裁判ではほぼ「死刑」にすることが裁判長・検事含めて決まっており、結局三隅の否認は認められず死刑が確定する。

 裁判を終えた重盛に取ってもこの既定路線はわかっており、重盛の思いが伝わるとは思っていなかった。しかし、三隅は咲江に性的虐待を供述させないために否認をはじめたのではないかと考える。その考えに至った瞬間、彼は自然と涙を流していた。

■社会の不条理によって殺された3人目の被害者

 全体的に淡々と物語が進んでいく「三度目の殺人」。中でも三隅演じる役所広司の静かながらも狂気じみた供述やしぐさが印象的で、その演技を見るだけでも価値のある映画に感じる。彼は正直に生きるが故に他者が虐げられる姿を黙認できず、「殺害」という手段を取ってまで他人に尽くしてしまう人間である。ある意味自分の正義に基づいて行動しているが、やはり反社会的にあることに変わりない。

 また、重盛も法律を扱いながらも人の生死に大きく関わる仕事を行っている。犯罪者を裁くとはいえ、中には救うべき犯罪者もいたかもしれない。しかし、「司法」という大きな枠組みの中で動く人間に過ぎず、劇中でも三隅を救おうとしても始めから決められた「死刑」に向かって話を進めるコマでしかないことが描かれている。

 この二者を比べてみると、実は立場が違うだけでやっていることは同じかもしれないことが示唆されている。そのため、劇中でも三隅と重盛が重なり合うシーンが意図的に流れるのが印象的だった。こうした対比として見ると、タイトルの「三度目の殺人」を行ったのが誰なのか非常に考えさせられるものとなっている。このタイトルの意味を知るためにも、ぜひ一度劇場にてチェックしていただきたい。(記事:藤田竜一・記事一覧を見る

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