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「パワハラ」と言われることの本質は、今も昔も変わらないと思うこと
最近のちょっとした雑談の中で、以前経験した仕事の話をしていると、よく「今だったらパワハラと言われてしまう」という話が出てきます。
その当時の上司の言動や態度であったり、本人のことであったりしますが、「あの頃は許されていたけど、今だったらアウト」という話がたくさんあります。
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特に今現在で管理職を担っている人たちは、「何かと気を使わなければならないのでやりづらい」などといいますが、では「パワハラ」と言われてしまうような行動の基準が、本当に昔の方がゆるくて今が厳しいのかと言えば、私はそうではないと思っています。
確かに裁判沙汰になって罰せられたり、社内での懲戒処分を受けたりという話は、昔はあまり聞いたことがありませんでしたが、最近はそうではありません。メディアなどを通じて事件として表に出てくることもずいぶん増えました。処分のされ方や追求のされ方は厳しくなったのだと思います。
しかし、「パワハラ」「セクハラ」といった嫌がらせにあたることというのは、その基準は相手の「嫌だ」という感情にあります。あくまで個人の主観によるものなので、例えば同じ行為をある人がやっても平気だが、別のある人がやるとハラスメントになることがあります。だから相手の感情に合わせて、自分の基準よりもさらに抑制的であることが必要だと言われます。
では、この「嫌だ」という基準が昔は甘かったのかというと、私は決してそうではないと思います。今も昔も同じように「嫌だ」とは思っていても、昔はそれを「言えない」「言わず我慢する」ということで、表に出ることが少なかっただけであり、今は声を上げられるような環境が作られたというだけのことではないでしょうか。
ですから「昔はセーフだったが、今はアウト」ということではなく、“相手が嫌だと思うこと”というハラスメントの定義からすれば、「昔でもアウトだった」ということが大半であり、それが当時の環境のために「言われずに済んでいただけ」ということではないかと思います。
「今だったらパワハラになってしまう」のではなく、「昔でも同じようにパワハラだった」ということです。時代背景として指摘されずにすんでいただけで、避けられたり嫌われたり信頼されていなかったりといったその人の見られ方という点では、たぶん今と変わらなかったでしょう。
最近は何かにつけてすぐハラスメントと言われてしまうと嘆く人がいます。確かにちょっと厳しめの言葉で指導すると、すぐに「パワハラ」だといわれてしまうなど、そういう面がないとはいいません。
ただ、「パワハラ」や「セクハラ」といったことは、決して昔は甘かったわけでも、やったことがセーフだったわけでもなく、今と同じように相手が嫌な気持ちになっていたのを、たまたま我慢してもらえる環境だっただけということは考えておく必要があります。
逆に「今はアウト」の中には、そこまで嫌とは感じていなくても、声を上げやすくなった環境に乗っかって、とりあえず言っているだけのようなものも含まれます。これに対してはハラスメントではないことを相手に毅然と伝えなければなりません。
「パワハラ」と言われるような行動や態度は、本質的な部分では今も昔もそれほど変わっていません。こういうことが起こらないための基本は、昔から言われている通り、一にも二にもお互いの信頼関係に尽きます。
そして、今の方が声をあげやすくなったということでいえば、昔以上に信頼関係が重要になっています。信頼関係とコミュニケーションの重要度が増したということで言えば、今の方がよほど大変なのかもしれません。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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