関連記事
日本人は「撤退が下手」といわれる理由を聞いて思ったこと
あるところで「日本人はなぜ撤退が下手なのか」という記事が目に入りました。
私はこれまであまり気づいていませんでしたが、企業戦略、軍事、その他のいろいろな視点から、「撤退」について書かれた書籍というのは、ずいぶんたくさんあるようです。
残念ながら私は、ごく一部を斜め読みした程度の知識しかありませんが、今回目にした記事でまとめられていたことに興味を持ちました。
書かれていたのは、
「もともと日本人は、狭い集落の中で一生を過ごしており、その集落の人たちと長期的な関係を築くしかなかった」
「そのため、集落で何か不満があっても、『見切りをつけて他に行く』という選択肢は存在せず、粘り強くその集落の中で解決するしかなかった」
「その結果、粘り強く取り組む人だけが自然淘汰で生き残って、現在の日本人を形成した」
「だから、もともと日本人には、『撤退する』という選択肢がなく、そのことを真剣に考える気質も生まれなかった」
ということでした。
また、「日本人が『長期的』という言葉が好きなことと共通の理由でもある」とされていました。
こう指摘されると、思い当たることがいくつもあります。
「会社を辞めずに長く勤めること」「修行、下積みといって一つのことに長い期間取り組むこと」は、今でも美徳として捉えられることが多いです。それが滅私奉公であっても、理不尽なことや非効率なことがあっても、「撤退せずにやり続けること」がたたえられます。
「石の上にも三年」「辛抱する木に金がなる」「牛の歩みも千里」「待てば海路の日和あり」など、忍耐の必要性を説いたり、努力を続ければ成果が得られるといった、やはり「撤退せずに続けることが好ましい」というニュアンスのことわざもたくさんあります。
ただ、昨今の環境変化を見ていると、「撤退」を避けていては、成り立たないことが多くなってきています。
例えば、「労働力の流動化」を進めなければ成長産業の発展が遅れ、国全体の経済にはマイナスだと言われます。いま自分がいる環境を見切って「撤退」し、新しい環境を求めようとする人が増えていく必要があります。
人材不足が進む中では、人材の育成速度を速める必要があります。スピードを上げるためには優先順位が高いこと、得意なこと、向いていることに注力し、他からは「撤退」することも必要です。どんなことでもじっくりコツコツという「長期的」ばかりでは成り立たないことが増えています。
社会環境が大きく影響することなので、一概に個人の責任ではありませんが、こういう姿勢は日本人のDNAに刻まれたものだと言われてしまうと、これを変えていくためには、本能的に不快と感じることを無理やりでもやらせるということになります。かなり強い刺激と強制が必要ということになるのでしょう。
社会制度においても、企業の人事制度などにおいても、日本人が不得手な「撤退」を含んだ取り組みが必要になってきているということでしょうが、その一方、そんな本能に反するほどの不快なことを強制してまで、何か変える必要があるのだろうかという思いもあります。
本能的に不得手なことを、無理やり強制されてやり続けなければならない環境は、不快で生きづらいことこの上ありません。ただ、続けていればいつの間にか慣れてしまうのかもしれません。
いずれにしても、「撤退」が苦手な日本人の生き方は、意外に難しいところがあるようです。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
スポンサードリンク