【インタビュー】「CHAN LUU」デザイナー チャン・ルー 夢を実現したデザイナーの次の20年

2016年12月20日 11:49

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記事提供元:アパレルウェブ

 ビーズや天然石を使ったブレスレットが人気の米国発ファッションブランド「チャン ルー(CHAN LUU)」が誕生から20周年を迎えた。繊細な手仕事とコンテンポラリーなデザインは、セレブリティーたちの間で話題となり一躍ブームに。持ち前の行動力も手伝い、ベトナム生まれのチャン・ルー氏がたった1人で立ち上げたブランドは今、日本はもちろん世界中に多くのファンを持つ。アメリカン・ドリームを叶え、さらに社会貢献にも力を注ぐデザイナーが、次に見据えるものは?来日したチャン・ルー氏に聞いた。

たった1人で立ち上げた「チャン ルー」が世界的ブランドになるまで

――20周年を迎えた率直な気持ちを聞かせてください。

 まさに、“Dreams come true(夢がかなった)!”という気持ちです。この20年で人生のあらゆるゴールを達成しました。素晴らしい会社を立ち上げ、こだわりを持って美しい商品の数々を作り、グローバルな市場においてコンテンポラリーブランドとしてのポジションを築くことができました。とても満たされているなと感じます。

――グローバル・ブランドとしてここまで成功すると想像していましたか?

 いいえ、まったく。心の声に正直にやってきただけですから。もちろん成功を夢見てやってきましたが、今のこの状況は想像していませんでした。ただし、目標に対して情熱を持ち、粘り強くやり抜くという姿勢はずっと変わりません。これが成功の秘訣かもしれませんね。

――「チャン ルー」を始めたきっかけを改めて教えていただけますか?

 子供の頃から、すでにデザイナーになる兆候があったと思います。色や形、肌ざわり、そして匂いまで(笑)、あらゆるものを敏感に感じ取り、感情を動かされることが多かったんです。そして手先がとても器用でした。籠を編んだり、料理を作ったり、手で作れるものは何だってできました。今目の前にいるあなたが席を外し、振り向いた次の瞬間には、1つ何かを作り上げているといった感じです(笑)。

――チャンさんの生活そのものがブランドを作り上げているのですね。

 私自身のパーソナリティーによるところが大きいと思います。デザイナーになることはごく自然な流れといえるでしょうね。

――ビジネスとして成功させるためには、苦労もあったのでは?何か転機はありましたか?

 私はとても幸運に恵まれているし、ビジネス感覚も持っていると思います。完璧主義なところがあって、最初の9年間くらいは、誰に頼ることもなく、何でも自分1人でこなしていました。でも会社が大きくなるにつれ、それが難しくなってきたんです。すべて自分で、しかも完璧にこなしていたから、疲れ果ててしまったんですね。大きなビジョンがありましたし、会社を成長させたいと思っていたので、そのためには、きちんと再構築しなければいけないと判断したんです。会社にとってキーパーソンとなる人たちを招き入れました。優秀なCFOと営業担当にオペレーションを担当してもらうことで、私自身はクリエーションに専念できるようになりました。それが、ブランドにとっても大きなターニングポイントといえますね。

――多くのセレブリティーたちを魅了している「チャン ルー」ですが、その理由はなんだと思いますか?

 第1の理由は、私自身がカリフォルニアに住むデザイナーであるということ。カリフォルニアはセレブリティーたちが住む、まさに中心地となる場所です。LAにショールームがあるのですが、多くのスタイリストがスターたちのアイテムを選びに訪れます。第2の理由は、私の友人の多くがセレブリティーであるということ。私自身がセレブリティーたちの世界に深く関わっていたので、その友人たちが「チャン ルー」を身に着けてくれたというわけです。

――マーケティングをする必要がなかったのですね。

 まさに私自身がプレスですね(笑)。特別なPR活動をすることはありませんでした。ラップ・ブレスレットがヒットした時は、多くの雑誌が取り上げてくれたので、それだけで大きな宣伝になりました。ジェニファー・アニストンからレディー・ガガまで、本当に多くのセレブリティーが「チャン ルー」を身につけてくれました。セレブリティーたちのスタイルは、常に世界から注目されています。ギフトに向いていることも大きかったですね。カリフォルニアのライフスタイルを表現したブランドが、インターナショナルなブランドへと変身を遂げることとなりました。

「1人助ければ5人を救える」 エシカル活動を後押しした言葉

――ブランドを通してさまざまな社会貢献活動をされていますが、そのきっかけはなんだったのでしょうか?

 社会活動家として活動しているセレブリティーの友人がとても多かったんです。富裕層である彼らは、当たり前のこととして社会貢献をしているのです。私自身も常に社会貢献をしたいと考えていました。私はデザイナーですし、デザイン活動を通して社会貢献をはじめ、それが今でも続いています。毎年10月のピンクリボン(乳がん啓発活動)月間には、売り上げの10%を寄付しています。国連でのエシカル活動については、関連機関であるエシカル・ファッション・イニシアティブが声をかけてくださったのがきっかけです。

――エシカル・ファッションといえば「チャン ルー」の名前があがります。それに対してはどう感じていますか?

 とてもポジティブに受け止めています。2010年のハイチ地震の被害者を救うために設立されたクリントン・ブッシュ・ファウンデーションが、私をハイチでの支援プロジェクトに招待してくれました。さらに、そこでエシカル・ファッション・イニシアティブの方々に会ったのです。職人さんたちとスムーズな生産体制を構築していくのは非常に難しいのですが、「チャン ルー」は多くの職人たちと取り組みを行うなかでそのノウハウがありました。国連では、アフリカの職人たちと組み、救うことのできるジュエリー・デザイナーを探していたそうです。ニューヨークにある私のショールームに来て、手仕事によるアクセサリーにとても感動してくれた国連の方は、「あなたにならできる」と言ってくれました。

 ですが、エシカル・ファッション・イニシアティブに招待されて向かったナイロビの状況は悲惨なものでした。何百万人という人たちが、ひどい貧困に陥っていたのです。本当に多くの子どもや女性たちが、生活ができずに苦しんでいる。そのあまりに悲惨な状況を前に、何をするべきかわからなくなってしまいました。そこで、国連の方に言われたのが、「1人をスラムから救い出せば、その周りにいる家族5人を助けられる」という言葉。そこで、エシカル活動に参加することを決心したのです。今は1,200人の職人さんと取り組みをおこなっています。1,200人の方を手助けできれば、5,000人以上の人を救うことができているということ。自分にできることから始めた活動ですが、現在の状況を作れたことに誇りを感じています。

 3年前の2013年には、アフリカの開発をテーマにした「第5回アフリカ開発会議」が横浜で開かれ、私はエシカル・ファッションに関するスポークス・パーソンとして招かれました。エシカル・ファッションがテーマになる際、いつもこうしたオファーをいただけるのはありがたいですね。私が行ってきた活動が、多くの人々にインスピレーションを与え、エシカル活動のムーブメントに参加するきっかけを作ることができるからだと思います。

 この会議では、エシカル・ファッションという言葉の代わりに、「レスポンシブル・ファッション」という言葉を使います。レスポンシブル・ファッションとは、地球温暖化や世界中で起きている貧困に対して、責任があるものと捉え、ファッションを通して解決していこうとするものです。貧困が起きると、それに伴い怒りや暴力が起こります。もし、サステイナブルな生活が実現し貧困を減らすことができれば、そうした暴力や悲劇も減らすことができるのです。現在、このムーブメントは大きくなり、いい流れが生まれています。私の場合、貧困に苦しむ人たちの雇用を創出するなど、デザイナーとしてチャレンジするべきことがたくさんあると感じています。

――20年の間に、消費者のライフスタイルにも大きな変化がありました。より本質的・実質的なものを求めるなかで、エシカル・ファッションに対する理解も深まってきたように感じますが、ブランドを取り巻く環境も変わりましたか?

 ファストファッションをはじめ、多くのファッション商品があふれるなか、それに惑わされることもあるでしょう。ですが、私の経験では、消費者の多くは、自身が信頼しているもの、背景にしっかりとしたストーリーを持つ商品をサポートしたいと感じています。エシカル・ファッションが本当に高い関心を集めるようになりました。

 数年前、バーニーズで店頭イベントを行ったのですが、来てくださったお客様が口々に、「ありがとう」と私に言ってくださるのです。「チャンさん、私もあなたのように世界で起きている問題に対して何かをしたいのですが、私は有名でもないし、何をしていいのかわからないのです。だから、あなたの商品を買うことで、社会に貢献していると感じることができるのです」というのです。お客様自身も誰かをサポートしたいと感じています。これは日本だけでなく、米国でもヨーロッパでも同じ。とても素晴らしいことだと思います。

 エシカル・ファッション・イニシアティブでチーフ・アドバイザーを務めるシモーネ・チプリアーニが、エシカル・ファッションについて日本の文化服装学院で講義をしたと聞いています。米国のFIT(ニューヨーク州立ファッション工科大学)でもエシカル・ファッションの授業が行われていますし、教育の現場でもムーブメントは起きていますね。また、ワシントンD.C.では毎年、ファッション・ファイツ・パバティー(FASHION FIGHTS POVERTY)という大きなイベントが開かれ、リサイクルや温暖化対策、雇用創出による貧困脱却などの課題について話し合われます。そして、エシカル・ファッション・イニシアティブでは、ステラ・マッカートニーやヴィヴィアン・ウエストウッドといったデザイナーたちが関わっていますね。エシカル・ファッションの広がりを感じます。

※この記事はアパレルウェブより提供を受けて配信しています。

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