【コラム 江川紹子】共犯者供述の危うさ、日本版「司法取引」は新たな虚偽をうむ?

2014年11月25日 11:34

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記事提供元:さくらフィナンシャルニュース

【11月25日、さくらフィナンシャルニュース=東京】

■共犯者の自白で逮捕・起訴され無罪


 やはり、共犯者供述は危うい…。

 「共犯者」の自白によって逮捕・起訴された男性を、無罪とする判決が出たと聞いて、そう再認識した。

 報道によれば、事件は2009年7月に起きた。東京都江戸川区の民家に宅配業者を装った2人組の男が訪れ、屋内に侵入し、住人である40代の女性の顔を殴るなどして、現金約1300万円などを奪って逃走。まもなく、1人の男X(28)が自首。Xの供述から、飲食店を経営するAさん(33)が逮捕・起訴された。

 Aさんは、公判で「全く身に覚えがない」と否認。裁判ではX証言の信用性が争われた。

 判決は、事件には暴力団が関わっている可能性があると指摘。Xは捜査段階では、事件とは無関係の別の男性の名前を挙げていることもあり、「Xが暴力団からの報復を恐れて男性を実行犯に仕立て上げた可能性があり、供述は信用できない」と判断した。そして、X証言以外にはAさんを犯人とする証拠はないとして、無罪とした。
 
 Xは、今年5月に懲役2年6月の判決が言い渡され、確定している。一方、検察側はAさんに対しては懲役10年を求刑していた。これを見ると、Xは自首したうえに、共犯者としてAさんの名前を挙げるなど、事件の「解明」に協力したことが評価されて、軽い刑で済んだのだろう。

 元検事の落合洋司弁護士は、今回の判決を受けて、自身のブログで次のようにコメントしている。

 〈共犯者供述は、昔から「引っ張り込みの危険」と言われているように、様々な思惑(自らの刑を軽くしたい、真犯人を隠したい等々)や予断に支配された取調官からの強制、圧迫などで虚偽に走りやすく、それだけに冤罪を生み出しやすい性格を持っています。自らの体験供述に、ありもしない「共犯者」を交えて話すことで、具体的、詳細な、まことしやかなものになりやすく、それだけに厄介なものですし、真実の供述との区別が難しくなります。〉

  実際、共犯者の供述によって、無関係の人が事件に引きずり込まれるタイプの冤罪は、これまでにいくつも起きている。

■無関係の人が次々と事件に引きずり込まれる


 古くは、大正時代に起きた路上強盗事件で、戦後に再審無罪となった「吉田岩窟王事件」がある。犯人の2人組によって主犯に仕立て上げられた男性は、一審死刑、控訴審で無期懲役の判決を受け、服役。仮釈放後に、犯人の居所を見つけて、真実を告白させ、1963年になってようやく再審無罪を勝ち取った。

 1980年に起きた富山・長野連続女性誘拐殺人事件では、男女2人が被疑者として逮捕された。検察は、女の自白に基づき、女が誘拐し男が殺害を実行したという筋書きで2人を起訴した。しかし、裁判では女の単独犯だと認定された。女1人で実行できるはずがない、という捜査機関の思い込みを利用して、自分の罪を軽くしようとして、交際相手の男性を引き込んだのだろう。男性の無罪が確定するまでには12年もの歳月を要した。

 最近では、厚生労働省の局長だった村木厚子さん(現在は同省事務次官)が巻き込まれた事件も、このタイプの冤罪と言えるだろう。同省係長が、正規の手続きを踏まずに、自身が偽造した証明書を自称障害者団体に渡した。係長は、逮捕された当初は自分1人でやったと供述していたが、検察官は村木さんの指示があったというストーリー以外は受け付けようとしなかった。これ以上抗えば、さらに長期間の身柄拘束を受けるという恐怖から、係長はやむなく村木さんの指示を認めた。

 こうした供述を元に検察は村木さんを逮捕した。係長は取り調べの状況をノートに記録し、公判でも詳細に証言。検察の筋書きに反する証拠や証言がいくつも出てきて、村木さんの冤罪はようやく晴らされた。

 それでも、一審で裁判所が虚偽の引っぱり込み供述を見抜いた場合は、まだまし。それが見抜けず、有罪となってしまったケースもある。

■生涯を冤罪のために費やす


 吉田岩窟王事件など、確定した有罪判決を、再審で取り消すのに、50年もの歳月を要した。虚偽供述によって事件に引っ張り込まれた側は、生涯を雪冤のために費やさなければならなかったのだ。

 このように、かねてから指摘されている共犯者供述の「危うさ」を助長しかねない制度が出来ようとしている。それが、日本版「司法取引」だ。この秋に法制審議会がとりまとめた刑事司法制度の改革案によれば、取り調べの録音・録画や通信傍受の対象拡大と合わせて、司法取引制度の導入が提言されている。

 アメリカでは、被告人が罪を認める代わりに、検察官が犯罪の一部を不問に付したり、軽い罪名で起訴を行い、陪審裁判で事実の審理を行うことなく判決が決まる司法取引によって、刑事事件の多くが処理されている。

 一方、日本が導入しようとしている「司法取引」は、自身の罪を認めるのではなく、他人の犯罪を申告した場合に、罪を軽くしたり不問に付したりするものだ。要するに、他の人のことを告げ口すれば、自分は得をする、という制度である。

 これまでも、被疑者・被告人に捜査機関に協力をしなければ、なかなか保釈されないとか、罪が重くなる、などと言われて、虚偽の自白をしたと訴える人たちは少なくない。しかし、検察側はそうした利益誘導があったことは絶対に認めない。

 密室の中でのやりとりなので、取り引きの証拠もない。「認めれば、保釈してやる」などと明言はせず、それとなく被疑者に期待させて供述を引き出す巧みな利益誘導がなされた場合は、なおさら分かりにくい。

 なので、新しくできる制度によって、取り引きがあったことが記録にとどめられるのは悪いことではない。だが、罪が軽くなる約束をする分、そのご褒美を期待して、嘘の供述をして、他人を引っ張り込むケースが増えるのではないか。

■事件の真相解明にマイナス


 「司法取引」を導入する場合、対象事件は汚職や詐欺などの経済事犯、薬物・銃器犯罪など。こうした事件では、特捜検察の独自捜査を除き、取り調べの録音・録画が義務づけられないことになりそうだ。少しでも透明性を保とうと、弁護人の同意が必要とされているが、弁護人は取り調べに立ち会うわけではないので、被疑者と取調官の間で、実際にどういうやりとりが行われたのか分からない。

 こうした事件についても、せめて取り調べの録音は義務づけ、取り引きが成立するまでのプロセスが明らかにして、捜査官の不当な誘導や、供述の不自然な変遷などの有無が確認できるようにすべきだろう。それでも、虚偽の「引っ張り込み」供述は防止は難しいだろうが、後からそれをチェックする手がかりは得られる。

 捜査機関は、「司法取引」によって、暴力団などの組織犯罪で、幹部らの犯行に関する供述を得やすくなると期待しているのだろうが、他人を巻き込む虚偽供述を防ぐ仕組みがまるでなされていないままでは、事案の真相解明にはかえってマイナスではないか。

 今回の無罪判決を聞いて、改めて思う。

 取り調べのプロセスが不透明なままの、日本版「司法取引」はやっぱり危ない。【了】

 えがわ・しょうこ/1958年、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1982年〜87年まで神奈川新聞社に勤務。警察・裁判取材や連載企画などを担当した後、29歳で独立。1989年から本格的にオウム真理教についての取材を開始。現在も、オウム真理教の信者だった菊地直子被告の裁判を取材・傍聴中。「冤罪の構図 やったのはお前だ」(社会思想社、のち現代教養文庫、新風舎文庫)、「オウム真理教追跡2200日」(文藝春秋)、「勇気ってなんだろう」(岩波ジュニア新書)等、著書多数。菊池寛賞受賞。行刑改革会議、検察の在り方検討会議の各委員を経験。オペラ愛好家としても知られる。個人blogに「江川紹子のあれやこれや」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/)がある。

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