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【コラム 山口一臣】終戦の日に考える「日本の敗戦責任」
【8月15日、さくらフィナンシャルニュース=東京】
■69回目の終戦の日
今年もまた8月15日がやってきた。数えて69回目の終戦の日だ。
菅義偉官房長官はその前日、
「15日正午には、国民一人ひとりが、その家庭、職場等、それぞれの場所において、戦没者をしのび、心から黙とうをささげられるよう切望いたします」
との談話を発表した。いかにも安倍政権の官房長官らしい浅薄な物言いである。
「祈り」は、いうまでもなく他人に促されたり、強制されたりするものではない。国民一人ひとりが、誰に言われるまでもなく自発的に行うことに意味がある。菅のこの一言のよって、それが台無しになってしまった。
8月15日は多くの国民があの戦争に思いをはせ、戦没者に祈りを捧げる。「おまえに言われたから」ではないのである。
そしてこの日は、閣僚や政治家の誰が靖国神社に参拝したかどうかが騒がれる。毎年毎年、繰り返される風景だ。記者は参拝に訪れた閣僚に対して、どういう資格でお参りしたのかを問う。「私的な参拝」か「公式の参拝」かを確認するためだ。
ついでに、先の戦争に対する評価と戦没者に対する気持ちを聞いて欲しいが、それはなかなか伝わってこない。
私は8月15日に限らず、機会があるとは靖国神社とそこから歩いて15分ほどの千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、お祈りしている。その気持ちは「哀悼」というよりは「謝罪」である。なぜなら、そこに眠っている人たちの多くは敵に殺されたのではなく、日本政府の無謀と無策によって殺された人たちだからだ。
官房長官の菅氏は、そのことをどれだけ知っているのだろうか。
■昭和16年の夏に敗戦は決まっていた
『昭和16年夏の敗戦』という本がある。東京都知事だった猪瀬直樹さんが1983年、36歳のときに書いた秀作だ。国会で現自民党幹事長の石破茂氏が何度か紹介したり、他にもいろいろな人がいろいろなところで取り上げているので、すでに知っている人も多いと思うが、未読の人がいたらぜひ読んで欲しい。いまは中公文庫に入っている。
終戦は昭和20年8月だが「昭和16年夏」の段階ですでに敗戦は決まっていた、という話である。
昭和16年、太平洋戦争開戦の年に各省庁や民間から超一流の若手エリートが集められ、それぞれが所属する組織から持ち寄った第一級の資料を元に日米開戦のシミュレーションが行われた。その結果は、
「緒戦は優勢ながら、徐々に国力の差が顕在化し、やがてソ連が参戦し、開戦3〜4年で日本は敗れる」
というものだった。原爆投下以外は、ほぼ正確に太平洋戦争の帰趨を言い当てていた。
どんなシミュレーションをしていたのか。
例えば、列強によって石油輸入を止められた資源小国の日本は戦争が始まればすぐに石油を調達しなければならなくなる。そこで、インドネシアの石油を獲りに行って、日本へ輸送する作戦を考えた。
当然、敵はシーレーンを攻撃しようとするだろう。そこで、先のスーパーエリートたちは商船隊の撃沈率をはじき出すとともに、撃沈された商船を補充するための造船能力を計算し、やがて補給は断たれると結論づけた。
具体的にいうと、当時日本の商船は約300万トンあって、年間約120万トンは沈められると予測した。これに対して造船能力は月5万トン、年間60万トンあるので毎年約60万トンの船が失われ、3年で3分の2の船がなくなってしまうという計算だった。
猪瀬さんの取材によれば、驚くことにこのとき彼らが計算で求めた数字は戦後に調査された実際の数字とピタリと一致していたというのだ。
「日本の必敗」は開戦前に明確なデータによって裏付けられていたのである。
にもかかわらず、当時の国の上層部はこれを無視して戦争に踏み切った。商船が撃沈されても失った船を上回る造船能力があるという根拠の薄い楽観予測や、挙げ句の果ては「やがて人工石油が開発される」といった説まで採用されるしまつだった。
実は、こうした計算はさまざまなところで行われていた。
例えば、戦争遂行の当事者である参謀本部も秘密裏に日米の国力調査を実施していた。結果は、工業生産力などで約20:1の差があることが分かっていた。もちろん、アメリカが20で日本が1だ。
このことから何が導き出されるかというと、例えば戦闘機同士の空中戦があった場合、多少の能力の差があっても損害はお互いに5分と5分という計算がある。日本の戦闘機が5%失われれば、相手も5%失う。ところが次回戦闘までに相手は失った戦闘機を100%補充してくる。ところが日本は5%しか補充できない。
■飢え死にした英霊たち
これを何度か繰り返せば、日本の戦闘機はゼロになり、相手は依然100%を維持しているという状況が生まれる。日本の勝利は絶望的だ。指導者層の多くはそれを知っていた。
それでも戦争に突入したのだ。
「戦争はいけないことだ」というのは文章にするのもバカバカしいほど当たり前のことである。だが、負け戦とわかっていながらそこに兵士を投入するのは人殺しだ。
「国を守るために尊い命を捧げられた…」などという綺麗ごとではないのである。
それだけではない。14日付の東京新聞の社説に、太平洋戦争では兵士の6割以上が餓死だったという説が紹介されている。元陸軍大尉で歴史学者の藤原彰さんが旧厚生省の資料を元に書いた『飢え死にした英霊たち』の一節が引用されている。
〈この戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行動による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。『靖国の英霊』の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである〉
日本は戦後69年、こうしたことにきちんと向き合ってこなかったのではないか、と思う。
右翼も左翼も「東京裁判史観」にとらわれて、先の戦争は侵略だったのか自衛のためのやむにやまれぬものだったのかとか、南京大虐殺の被害者は実際には何人だったのかとか、いわゆる従軍慰安婦に強制性はあったのかなかったのかとか、あるいは閣僚の靖国参拝は是か否かとかーーー。
もちろんそうしたことの検証や論争も大事だが、日本はなぜ戦争に負けたのか、「敗戦責任」は誰にあるのかということを、もっともっと考えるべきだと思う。
戦後日本で「戦争責任」というと、平和に対する罪だとか、人道に対する罪と捉えられてきた。とくに左翼はできもしない「天皇の戦争責任」追及に血道をあげてきた。
その結果、真に追及すべき「敗戦責任」がまったく見逃されてきたのである。
これは「軍部の暴走」などという、分かりやすいが空疎で中身のない言葉で総括すべきことでもない。もっともっと冷徹に、具体的に検証されるべきことなのだ。
なぜなら、これは決して過去の話ではなく、現在にも通じる事柄だからだ。
■自衛官が戦死する日
雑誌「選択」8月号の巻頭インタビューに「自衛官が『戦死』する日」というタイトルで元防衛事務次官の守屋武昌さんの話が載っている。
自衛隊発足以来1800人以上の自衛官が命を落としているという。これは一般の公務員にはない「職務遂行上の危険」によるものだ。にもかかわらず、通勤途中に交通事故で亡くなった公務員と同じ殉職扱いで片付けられているという。
安倍政権の集団的自衛権行使容認によって自衛官の危険性はこれまで以上に高くなる。だが、国を守るために命を落とした自衛官とその遺族をケアする制度は用意されていない。安倍晋三首相も国会で、戦死についての質問をはぐらかし続けている。
戦争とは、政治家が国策遂行のために兵士(自衛官)を戦地へ送り込む行為である。そこで守屋さんは、「自衛官を戦地へ送ろうとする側が政治生命を賭けて制度を整えるべきだ」と訴えている。
まったくその通りだ。そして、このことは政治家だけでなく私たち国民一人ひとりがしっかりと考え、覚悟すべきことだと思う。
「自衛官が『戦死』する日」ーーーそれが現実になりつつあることを、先の戦争の敗戦責任とともに、この8月15日に考えてみた。【了】
やまぐち・かずおみ/ジャーナリスト
1961年東京生まれ。ゴルフダイジェスト社を経て89年に大手新聞社の出版部門へ中途入社。週刊誌の記者として9.11テロを、編集長として3.11大震災を経験する。週刊誌記者歴3誌合計27年。この間、東京地検から呼び出しを食らったり、総理大臣秘書から訴えられたり、夕刊紙に叩かれたりと、波瀾万丈の日々を送る。テレビやラジオのコメンテーターも。2011年4月にヤクザな週刊誌屋稼業から足を洗い、カタギの会社員になるハズだったが……。
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※この記事はSakura Financial Newsより提供を受けて配信しています。
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