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【コラム 江川紹子】世にも奇妙な「判決」
【8月11日、さくらフィナンシャルニュース=ミュンヘン】
■証言が聞こえなくとも、裁判の公開には反していない
一般国民の立場からすると、なんとも奇妙な判決が、先月、東京高裁(第10民事部・園尾隆司裁判長、田中寿生裁判官、森脇江津子裁判官)で出された。
公開の裁判で傍聴人に証人の姿が見えず、証言が聞こえず、いったいどういう裁判が行われたのか分からない場合でも、憲法で保障している「裁判公開の原則」には全然反していない、という内容だ。
まずは、事件の概要を説明する。
事件の舞台は、2012年2月17日のさいたま地裁。暴力団の抗争による殺人事件の公判(大熊一之裁判長)だった。この日は検察側の重要証人が証言するため、共犯として裁かれることになっていた別の被告人の弁護人だった塚田育恵弁護士(東京弁護士会)が、訴訟準備のために傍聴した。
この日の証人尋問は、法廷外にいる証人に対してモニターを通して質問する「ビデオリンク方式」で行われた。しかも、被告人や傍聴人にその姿が見えないよう「遮蔽措置」がとられていた。そのため、傍聴人用の大型モニターは切られ、裁判官や裁判員、弁護人、検察官の卓上モニターだけがオンになっていた。
■聞こえない傍聴
それでも塚田弁護士は、証言の内容が聞き取れればいいと思い、一般傍聴人として傍聴席に座り、ノートを広げた。しかし、その声がほとんど聞こえない。法廷で質問する検察官の声は明瞭だが、肝心の証言が聞き取れない。この時の塚田弁護士のノートには「聞こえない」、「聞こえない」という文字が並んだ。
他の傍聴人が「聞こえねえよ」と舌打ちする声も聞こえた。
昼休みに、塚田弁護士は裁判所の書記官室を訪れ、傍聴席には証人の声が届いていない旨を伝え、善処を求めた。大型モニターの画面をオフにしてスピーカーだけオンにするとか、大型モニターの電源を切るとスピーカーも切れてしまうなら、電源を入れてモニターにおおいをするなどの工夫をすれば、遮蔽措置をしたまま声が聞こえるようにすることは容易だ、と塚田弁護士は考えた。
ところが、午後になっても、裁判所は何の対応もしなかった。塚田弁護士のノートは、「聞こえない」「聞こえない」「聞こえない」だらけになった。
裁判は公開が原則。裁判の公開は、当然、国民が傍聴し、その内容を知ることを前提にしている。「傍聴」とは、その場に立ち会って、会議や公判の内容を聞くことを言う。ところが、証人が見えないだけでなく、証言も聞こえない状態では、「傍聴」とは言えず、裁判公開の原則は守られていないのではないか。
そう考えた塚田弁護士は、こうした状態を起こした裁判長の訴訟指揮は違法として、同僚の弁護士と共に国を相手取って裁判を起こした。
一審の東京地裁(民事第1部・後藤健裁判長、綿貫義昌裁判官、中村玲子裁判官)は、さいたま地裁の大熊裁判長への証人尋問の請求も退け、あっさり請求を棄却。
■国民には裁判内容を知る権利がある
控訴審では、塚田弁護士らは「レペタ事件」の最高裁判決に言及しつつ、国民が裁判内容を知る権利について主張した。「レペタ事件」は、裁判所が傍聴人がメモをとることを禁じていた時期に、日本の司法を研究していたアメリカ人弁護士が、その対応は違法として裁判を起こしたもの。
国賠請求は認められなかったが、最高裁は「傍聴人は法廷における裁判を見聞することができるのであるから」、見聞きした内容を記憶にとどめるためにメモを取ることは、憲法に保障されている表現の自由、そこから派生する知る権利からして尊重されるべきだとした。
ところが、本件ではメモ以前に、「裁判を見聞きすること」ができない。
これに対し、高裁判決は、裁判公開の原則で保障しているのは、「裁判の公正さ」であって、「傍聴人に対して証言内容をつぶさに知る権利を付与したものではない」として、塚田弁護士らの請求を退けた。実際には「つぶさに知る」どころか、「ほとんど知ることができない」状態だったのに、それも無視された。
「裁判の公正さ」を担保するために、国民がきちんと裁判の内容をチェックできるようにするのが、裁判公開の趣旨ではないのか。単に、法廷の中に入れるようにしておけばいいというものではないだろう。聞くことすらできないのでは、決して「傍聴」ではなく、真の意味で公開された裁判とはいえない。
しかし、東京地裁にせよ、東京高裁にせよ、同じ裁判官がなした措置をかばおうというのか、憲法問題をじっくり検討するのを渋ったのか、裁判所の措置には文句を言うなと言わんばかりの、けんもほろろの対応だった。
実は、レペタ事件でも1審、2審では似たような対応だった。最高裁で初めて、まともな憲法判断がなされた経緯がある。
今回の「見えざる聞こえざる」傍聴を巡る裁判も、最高裁で少しはまともな判断がなされることを望みたい。【了】
えがわ・しょうこ/1958年、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1982年〜87年まで神奈川新聞社に勤務。警察・裁判取材や連載企画などを担当した後、29歳で独立。1989年から本格的にオウム真理教についての取材を開始。現在も、オウム真理教の信者だった菊地直子被告の裁判を取材・傍聴中。「冤罪の構図 やったのはお前だ」(社会思想社、のち現代教養文庫、新風舎文庫)、「オウム真理教追跡2200日」(文藝春秋)、「勇気ってなんだろう」(岩波ジュニア新書)等、著書多数。菊池寛賞受賞。行刑改革会議、検察の在り方検討会議の各委員を経験。オペラ愛好家としても知られる。個人blogに「江川紹子のあれやこれや」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/)がある。
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※この記事はSakura Financial Newsより提供を受けて配信しています。
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