科学とは「信じること」なのか?

2011年4月10日 11:00

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記事提供元:スラド

  capra 曰く、

 本家/.「Is Science Just a Matter of Faith?」より。

 宇宙の起源や原理、人間の進化などに関する、波動方程式や量子電磁力学、分子生物学などを含めた科学的な解説を、科学者以外の人々が理解するのは難しい。我々が物理学や天文学、生物学などにおける驚くべき複雑な科学現象を事実として認める場合、その理由ではなく、「信じる」という行為を通じて受け入れているというのが正直なところだろう。

物理学者のリチャード・ファインマンは著書「The Character of Physical Law 」で「量子力学を理解している人はいないと言っても差し支えないだろう」と書いた。この分野の本を何冊も執筆した彼自身も例外ではないということだ。実際のところ、厳密な科学的真理や数学・象徴形式が理解できるようになるまでには何年も熱心に勉強する必要がある。そうでない我々は、真理を理解してわかりやすい言葉で説明してくれる専門家に依存することになってしまう。そこに科学と科学者にとっての大きな問題が存在する。多くの人々にとって、現実としては専門家を信用し、その話を信じることが科学ということになる。これは信仰のようなもので、理解とは程遠い。科学の言葉を理解できないなら、どうやって科学を理解できるだろうか。

「我々は科学を歴史と同様に、実践からではなく読んで記憶することにより学ぶ。原子とは何なのかということや、ヒッグス粒子が非常に重要なものだということを本当に知っているのか。それとも誰かがそう言っていたから、そのように受け止めているだけなのだろうか。」

 この争点、科学的に正しくても「専門家による説明が信じられない」場合も併せて考えるとなかなか興味深くなる気がする。

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