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建設技術研究所:わが国初の建設コンサルタントとしてスタート
建設技術研究所は、1945年(昭和20年)8月に「国家緊急建設の要請に応える」ため、人力作業の機械化などの研究を目的に「財団法人建設技術研究所」が設立されました。[写真拡大]
■日本最初の建設コンサルタントの設立
建設技術研究所 <9621> は、1945年(昭和20年)8月に「国家緊急建設の要請に応える」ため、人力作業の機械化などの研究を目的に「財団法人建設技術研究所」が設立されました。1950年(昭和25年)頃になると、産業の復興に合わせ水力発電所が競って建設され、当財団が調査・計画・設計に携わるようになり、日本中の仕事の半数をこなすほどになりました。
■財団法人から株式会社に
昭和30年代の高度経済成長期に入り、東京オリンピックもあり、高速道路、新幹線の建設など、公共事業が増え設計業務も増えました。建設コンサルタントの数も増大し、当時の建設省(現国土交通省)はコンサルタントの登録制度を作ることになりました。 これをきっかけとして当財団を発展的に分離し、昭和38年4月に株式会社を設立しました。なお財団法人は現在も存続しており、建設技術に関する研究事業を行っています。
■公共事業の投資削減時代も、「プロポーザル方式」で増収増益
現在の同社の事業は「公共事業などの総合コンサルティング業務」。
具体的には、河川、ダム、道路をはじめとしたインフラの、企画、調査、計画、設計、施工管理、運用維持管理など。加えて、それらに関連する、システム開発や事務処理受託も行なっている。
おもな客先は国や都道府県・市町村などの官公庁。一部、鉄道・電力会社などの民間企業も客先となる。
実際の業務は、建設・建築業界で設計事務所が行なっているような仕事を、「土木」分野で行なっている。
たとえば、道路なら、沿線の地形に合い、かつリーズナブルなコストなどを勘案した路線の設定から、途中に建設する、橋梁、トンネル、高架などのデザインから図面引き等までを行なう。
実際の施工は、官公庁がゼネコンや施工会社に発注する。
現在、国や地方自治体の財政が逼迫し、公共事業投資が削られる傾向にある。が、インフラ整備は必要なものなので、需要はゼロにはならない。
たとえば、ダムなどの河川整備。日本の河川は一見、整備が進んだように見えるが、実は、災害への対応という観点からいうと、まだまだ水準に達していないケースが多いという。
また、同社の場合、「プロポーザル」(技術力による選定)方式による発注への対応を強化。最適なコストでより良質なプランを提案するため、高い受注高を維持している。
業績は、2007年12月期連結で、売上高306億円(前年比5.6%増)、経常利益16億1000万円(同18.1%増)、純利益7億5000万円(同8.4%増)の増収増益を見込んでいる。
■不況期まっただなかに社長就任
大島一哉社長は、1946年生まれ。大分県出身。
1969年に東京工業大学 理工学部 土木工学科を卒業、建設技術研究所 入社。
技術第5部(河川)部長、取締役、常務取締役、専務取締役、取締役副社長などを歴任し、2003年3月、代表取締役社長に就任した。
社長就任当時は不況期まっただなか。業界全体で売上高が下落し、人件費抑制のため、新規採用を抑えていた時期だ。同社も例外ではなかった。
が、大島社長は、在職者の給料を抑えてでも、新規採用し、仕事量を増やすことにした。新卒者と、同業他社やゼネコンなどから優秀な人材を採用した。
そして、客先に対し、コストだけでなく、技術面や景観まで含めた提案を行なった。これが多くの受注実績につながり、業績回復につながった。
当時はまだ、いわゆる分配型社会・護送船団方式の時代。不景気な時には、各社の仕事が減る社会構造だった。
しかし、価格競争だけでなく技術面も含めた提案を行なうと、発注側も前向きに考慮してくれることがわかった。翌年も新人を採用。社内に活気と自信が生まれ、プラス展開の好循環が生まれた。
大島社長の持論である。 「不景気になると企業は採用を抑制しがちだが、そうすると、年齢構成が不均等となり、先々にツケが来る。採用計画は5年、10年先を考えて判断しなければならない。経営上、大事なことだ」
■当時は、借入金が……
同社は1990年頃までは銀行からの借り入れが大きく、利益の半分は利子の支払いに消えるという状況だった。大島社長は、社内の企画委員会委員長の時に、借入金の返済と、運転資金の確保を目的に、株式公開を提案した。「一生けんめい働いても、利益を銀行に持って行かれて残らない。そんな話には納得できない」ということだ。
1994年、日本証券業協会に株式を店頭登録。 1996年、東証2部上場。 1999年、東証1部に上場した。
■仕事の認知度を高め、社名浸透へ
既述したとおり、同社の事業はおもに官公庁が相手であるため、エンドユーザーの認知度はあまり高くない。
大島社長は言う。 「社会資本の計画・設計という、大きな仕事をしている自負がある。今後は、当社の行なっている仕事についての認知度を高め、社名を浸透させていきたい」
中長期ビジョン『PHOOS 2015』では、
1.コンサルタントとしてのシェア拡大 河川・道路など主要分野でのシェア1位などを目標(一部分野ではすでに達成) 2.コンサルタントとして新分野へのチャレンジ 資源、エネルギー、生活関連分野など 3.建設分野の新業態へのチャレンジ 発注者支援ビジネス(後述)など 4.新ビジネスへのチャレンジ 知的財産ビジネスの展開など ――を掲げている。 (PHOOS=「フォース」はギリシャ語で「光」の意)
■新事業は、海外、都市、マネージメント
今後、重点的に開拓していく新事業は、「海外」「都市」「マネージメント」の3分野だ。
「海外」は、いま勢いのある中国・韓国をはじめとして、フィリピン、タイ、インドネシア、モンゴル、ベトナムなど。分野は河川・道路・都市を中心に想定している。現地企業との合弁で子会社を設立するという形も考えている。
とくに中国では、「環境」ニーズが出ており、将来的に大きな市場があると見ている。
「都市」は、日本の少子高齢化と人口減に対応した都市再構築や、地方都市の空洞化への対応などだ。また、ターミナル駅などのシームレス化、つまり、各路線の乗り継ぎや乗り換えのつなぎを良くする、といったこと等が挙げられる。
「マネージメント」は、発注者支援ビジネスや、PFIにおけるCMなどだ。
発注者支援業務とは、たとえば公共事業の発注者(官公庁)が、提案された複数のプロジェクトのなかから、コストや安全性など最適なプロジェクトを選定する際に、発注者に比較材料を提示したり、助言を行なったりする業務だ。
最近は技術の高度化・複雑化や、団塊世代の大量退職などにより、官公庁では技術面に不案内な者が発注責任者となってしまう場合もあり、プロジェクトの品質が懸念されている。そのため、民間からの支援が必要となっており、今後、この事業のニーズが高まることが予想される。
PFIは「プライベート・ファイナンス・イニシアティブ」の略語で、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、技術、経営で行なうことだ。 このPFIを実施する場合、プロジェクトの監督や調整などを、発注者である官公庁などが行なわず、専門家などに委任する場合がある。これをCM(コンストラクション・マネジメント)という。
大島社長は言う。「公共事業=受注産業という受け身の姿勢にとどまらず、新事業開拓、技術者の能力向上などへ積極投資を行ない、さらなる事業拡大と魅力ある会社づくりを進めていきたい」(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media-IR)
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※この記事は日本インタビュ新聞社=Media-IRより提供を受けて配信しています。
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