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銀行の常識は社会の非常識か?
銀行の店頭客が減少しているような印象を受けている。もともと銀行の方から来店客が窓口に近寄らないように様々な手を打ってきた。ATMはその典型的な例で、単純な入出金は機械に任せるという発想はお首にも出さず、“便利になりますよ”という耳当たりの良いフレーズでATMコーナーの充実を図った。客の方もだらだら待たされて不愛想な受付嬢の顔を見せられる位なら、割り切ってATMコーナーに並んだ方がマシという意識もあったろう。そんな意味では双方の思惑が一致したのかも知れない。キャッシュカードは瞬く間に日本中に広がり、生活費の範囲の入出金で銀行の窓口を利用する人は、非常に限られた絶滅危惧種のような存在になった。
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最近バーコードの付いた支払請求書が届く。バーコードがある支払いであればコンビニの方が銀行よりもずっと早く済む。銀行では料金の支払いに窓口に出向くと、受付番号という札を取らされて順番待ちをすることになる。窓口嬢(雇用機会均等法が施行されていても窓口はほとんど女性である)は自分のペース(のように見える)で顧客に順番が来たことを告げる。客はやれやれやっと順番が来たかと思い窓口へ行くが、窓口では、支払いの内容を確認して伝票に住所と氏名の記載を求める。言われた通りに記入すると、呼ぶまで着席して待てという。
コンビニでは順番に並んで、自分の番が来るまでは時の運かも知れないが、番が来たら目の前で確認と受付を済ませ、あっという間に用が足りる。用件は同じなのになぜこんなに対応が違うのだろう。コンビニの受付が着席して受付しているのを見たことがあるだろうか。銀行の受付が立って執務しているのを見たことはない。仕事に対する根本的な姿勢が違うのだと思う。料金の支払いでコンビニで住所や氏名を書かされることはない。銀行では当たり前に住所氏名と電話番号を書かされる。なぜそんな違いがあるのか、きっと理由があるのだろう。銀行の常識が社会の非常識と言われないよう、銀行の窓口業務も改革が必要かもしれない。(所謂、金融機関すべてを”銀行”と表現している。特定のモデルがあるわけではない)(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る)
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