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【作家・吉田龍司の歴史に学ぶビジネス術】東芝「からくり」の末路
■偉大な発明家「からくり儀右衛門」
東芝の重電武門の創業者である初代田中久重(幼名儀右衛門)は福岡の人で、幕末~明治の激動期を生きた人である。神社の祭礼で新しいからくり人形を次々披露して有名になり、「からくり儀右衛門」という異名をとった。 大坂船場へ移った彼は「無尽灯」という灯器を発明する。これはオランダ製空気銃の技術に工夫を重ねたもの。空気圧を利用して油が灯の芯までのぼるという仕掛けで、油皿の油が減ると自動的に補給される画期的な商品だった。さらに明るさはろうそくの10倍、久重は生活に大切な照明に革命を起こしたのだ。
他に一度巻けば一年動くことで有名な万年時計など、久重の発明品は枚挙に暇がない。まさに東洋のエジソンだった。久重は明治6年(1875)に東京・銀座で田中製作所を設立し、電信機の製作を始めた。 その後、重電機メーカーとなり、2代目が芝浦に移転してできたのが株式会社芝浦製作所である。のち東京電気株式会社と合併し、東京芝浦電気株式会社となった。これが東芝の母体である。
■欠けていた「ロスカット」と「CSR」の意識
田中製作所が設立されてから約140年、栄華を誇った巨大企業・東芝は解体の危機に瀕している。白物家電、医療機器に続いて、ついに虎の子の半導体まで切り売りせねばならない事態に追い込まれてしまった。事務機器、昇降機なども売却が検討されているので、残るのは満身創痍の原発のみとなってしまう。そんな東芝に未来はあるのか。株は今やマネーゲームの対象となるまで落ちぶれた。
旧経営陣の罪は大きい。元凶はウェスティングハウス買収ではあるのだが、最大の問題は利益水増しという不正会計を続けてきた旧経営陣の倫理観ではないか。震災は天災だが、市場の信頼をなくしてしまった根本的な理由は人災である。 儀右衛門の発明は世のため人のためのからくりだったが、旧経営陣の不正のからくりはただただ自分のためのものでしかなかったのではないか。ただ利益を追求するだけでなく、企業はどこかにCSR(企業の社会的責任)の考えを持っていなければならない。東芝のような日本を代表する企業ならば、社会的な影響度も考えて欲しかった。
また投資に失敗したら直ちにロスカット、という当たり前の思考も欠如していた。むしろ一刻も早く切り離すべきだったのは原発事業だったはずだ。不採算事業を残して、将来性のある事業を切り離すというのは、もはや企業としてまっとうな判断ができなくなっているといって過言でなかろう。
動脈硬化を起こしてしまった大企業。現株主がどうなるかはわからないが、恐らく国を挙げての延命措置が講じられることは間違いない。そんな植物人間のような会社に意味はあるのだろうか。我々はこの成行きを、反面教師としてしっかり見定めていくべきだろう。
(作家=吉田龍司 『毛利元就』、『戦国城事典』(新紀元社)、『信長のM&A、黒田官兵衛のビッグデータ』(宝島社)、「今日からいっぱし!経済通」(日本経営協会総合研究所)、「儲かる株を自分で探せる本」(講談社)など著書多数)(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media-IR)
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※この記事は日本インタビュ新聞社=Media-IRより提供を受けて配信しています。
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